林檎の華-8
… … … …
この町を離れる日に私は初めて館長の運営する食堂を訪れて、そこで同居していた元奥さんに会ったのだ。
井原涼子。
奇遇な事もあるのだ。
中学時代、私を虐めていた子がそこでこんなに近くに暮らしていたのだ。
「井原さん。」
彼女は私に気づかない。
私はこんな風に生きているけど、彼女はあの頃と代わり映えしないのだった。
「リンゴっ…そう、林檎とかいう女と懇ろにしてると聞いたけど、本当にあんただったんだ。」
「奇遇ね…あなた変わらないわね。
若々しくていいわ。」
そうは言ったが彼女は私と同い年には見えないほど萎れて見えた。
演技を磨くほどに私は嘘もつけるようになったのだ。
「あんた知ってたんだ…
復讐されちゃったのね。」
彼女はため息混じりにそんなセリフを吐いた。
もう、あらゆる事に疲れ果ててる感じだった。
「復讐?…知らなかったわよ。
それに復讐なんて興味ないわ。」
そこへ荷物をまとめた館長が降りてくる。
「じゃあ、行こうか?
後の物は適当に処分してくれ。」
「ねぇ、あんた。
本当に戻らない気?」
「あぁ、この前も言ったが店はお前にやるよ。
それで気が済んだだろ?
好きにすればいいさ。」
涼子は黙って立ち尽くしていた。
「ねぇ、済んだ事なんてどうでもいいじゃない?
愉しんで生きなきゃ損よ。」
私はもう振り返らないように食堂を後にする。
「お前たちなんか、野たれ死にゃいいのよっ!」
後ろからそんな声がしたけど、私は本当に復讐なんかに興味はない。
あるのはこれからも愉しんでいられる環境だけなのだ。
タクシーに乗り込んで国道を滑り出すと奥深い山道は次々に通り過ぎていく。
わずかな間だったけど、染み付いた硫黄の香りが体から徐々に離れていくような気がしたのだった。
完