人為らざる物-4
「真鍋、何をしている!取り押さえろ!」
更に後方から響く近藤の声に、真鍋はハッとした。
「僕じゃない。殺してなんかいない!」
倉田は叫ぶ。
――― そうだ、お前じゃない。なのに捕まるのか?
声がした。確かに聞こえた。倉田にだけ響く、その。
――― 世界が憎いか?
あぁ、憎い。
――― ならば壊せ
壊す?ボクが?
――― お前が出来ないのなら、俺がやる
だから、キミは誰なの?
――― 気付いているはずさ
あぁ、やっぱり。殺したのは
――― 暗闇から解き放て
真鍋がボクの片手に手錠をかける。
ガシャ
――― オレを解き放て
もう片方の手にかけられる寸前、自我が反転した。
「俺に触るな、馬鹿野郎」
言って手錠のかけられていない手で、真鍋の銃を叩き落とす。
「えっ?」
近藤と真鍋は一瞬、何が起こったのか理解できなかった。落ちた銃を、倉田はゆっくりと拾い、下卑た笑みを浮かべた。
「刑事さん、形勢逆転だ」
「お、お前・・」
「動くな」
近藤が銃を抜く隙を、倉田は与えない。真鍋は顔を赤くして立ち尽くしている。さぞかしプライドを傷つけられたことだろう。
『真鍋、動くな、我慢しろ』
近藤は小声で諌める。しかし真鍋の耳には届いていない。
「お前、さっきの涙は演技だったのか!」
今にも飛び掛りそうな勢いで真鍋は叫んだ。
「いや、本気だよ。だって奴は殺してない」
「何を言ってるんだ、この野郎!」
「口の利き方に気をつけろ、餓鬼」
言って真鍋に銃口を向ける。
「奴は肝っ玉が小せぇからよ。俺がいつも代わりにやってやるんだ。危ない橋はいつも俺が渡る。根室を殺したのは俺さ。あの野郎、いつも社内で俺をコケにしやがって。だから殺してやった。あいつの恐怖に満ちた表情は最高だったよ。あいつを刺したときの感触は、それはもう気持ちよかった。良すぎていっちまいそうだったよ」
その瞳は先程の倉田のものとは、明らかに違っていた。典型的な異常者の輝き。
「二重人格、か」
近藤は言った。同時に自分の推理が間違っていたことに落胆した。
「この下衆野郎!」
真鍋は倉田に向かって拳を振り上げた。
「やめろ!真鍋!」
お前は分かっていない。奴は撃つ。あの目は殺人を恐れていない。
パンッ
「ぐあぁ」
倉田は真鍋の膝に銃弾を放った。あまりの激痛に地面を這いずりまわる。その姿を倉田は、まるで宝物を見るような嬉々とした表情で見つめた。そして近藤はその隙に、腰から銃を抜いていた。
「おや?俺を撃つのかい?」
倉田はわざとらしく両手を上げた。
「撃てば良い。ほら、撃てよ」
こいつは死をも恐れていない。恐らく悲鳴も上げず、命乞いもせずに死んでいくだろう。それじゃあツマラナイ。それよりも・・・。
「そう、その目だ」
倉田は言った。
「なぁ、お前、もう人間じゃないだろ?その凍てついた、無感動な目だ。あのアパートですれ違った時にもそんな顔をしていた」
ぎくりとした。
「五月蝿い」
低い声で近藤は言った。
けれど倉田は続ける。
「足りないんだろ、狂気が。お前は『こっち側』の生き物だ。どうして刑事になった?どうして殺人課なんだ?」
「黙れ!」
「お前は狂気に飢えている。だから死で充満した現場に身を投じる。好きなんだ、血が、死体が、その表情が!!」
分かる、俺には分かるよ。
目の前の化け物が言う。
そう、そうだ。私は求めていた。刑事でありながら、ソレを求めていたんだ。
「く・・・狂ってる」
足を抑えながら真鍋は言う。
あぁ、狂っている。確かに狂っている。だからこそ私は狂人の考えが分かる。事件を狂人の立場から見ることが出来る。手柄を立てたいのならば簡単だ、自分も壊れてしまえば良い。そうすれば犯人の行動は、自分の予想と重ね合わせることが出来るのだから。
「見てみろ、この不様な姿を」
倉田は、慈しむように真鍋を鑑賞する。
「美しいだろう。最後に見せる表情は、最高に美しい」
「や・・・やめてくれ」
怯えている。ガタガタと震えている。けれど真鍋、その姿こそ私たちを最も惹きつけるものなんだよ。
懐から倉田は煙草を取り出す。マルボロ、メンソールに火をつけ、近藤に目で合図をした。
近藤は頷き、銃を真鍋の頭部に向けた。
「近藤さん、目を覚ましてください!!」
恐怖に濁った目で、真鍋は私を見た。
――― あぁ、とっくの昔に目は醒めているんだよ
パーンッ
そして躊躇いなく、その一線を越えた。
頼りない街灯の下、二つの黒い黒い影がどこまでも伸びて。
薄ら寒い夜の闇に、煙草と銃火の煙だけが立ち昇っていく。