甘く美味しいつがい-1
店を出た後、バルトに公園へ案内された。
広い公園は、中央に大きな池があり、ボート遊びまでできる。
バルトがたくましい腕でオールをこぐと、小船は水しぶきを上げて水面をすべるようにすすむ。
ここもカップルばかりで、何艘か浮いているボートでは、恋人達が楽しそうに笑いあっていた。
「……の?」
「え!?」
不意に、話しかけられていたのに気付き、あわてて姿勢を正した。
「なんだか上の空だったけど、誰か別の人の事でも考えてた?」
「あ…………いえ。すみません」
向かいにいるのが、誰もがうらやむ人気役者じゃなく、ルーディだったら良かったのに……つい、そう考えてしまっていた。
***
「すみませんが……」
岸辺のボート係りは、ちょっと不思議なものを見るような目で、錬金術師の二人組みを眺めた。
「本日は、恋人達の記念日となっておりまして……ボートのご利用は、男女のお客様のみとさせて頂いているのです」
そうでなくとも、ここは恋人たちの聖地として有名な池で、殆どがカップル客だ。
ボートの上でキスすると、永遠に祝福されるという伝説もある。
「そこをなんとか……あててっ!」
「どうもお騒がせいたしました」
食い下がろうとするルーディの耳を、ヘルマンが容赦なく引っ張って引き摺っていく。
「ほら、とっとと行きますよ」
「そうだ!お師さまが女装してくれれば……」
「ルーディ。氷浸けにされたいんですか?」
「……冗談です。すいません」
***
ラヴィの乗ったボートは、いつのまにか乗り場から遠く離れていた。
池といっても、小さな湖に匹敵する広さだ。他のボートの姿も小さくなっている。
「ここなら静かだね」
オールから手を離し、バルトが気障な笑みを浮べた。
「どう?楽しい?」
「は、はい……」
「良かった。君くらい可愛い子なら、夜になっても一緒にいたいなぁ」
赤銅色の手が延びてラヴィの頬に触れた。そのまま引き寄せられそうになって、思わずラヴィは身を引く。
「っ!?」
「照れなくてもいいのに。これだけ岸から離れてたら、見てる人もいないよ」
「そういう問題じゃありません!!」
自分でも驚くくらい、大きな声が出た。
「彼氏に義理立て?真面目だねー。黙ってればバレないって」
バカにするように、バルトが笑う。
「……!」
もう一度伸びてきた手を、今度ははっきりした意志で振り払った。
「……全然違う」
「ん?」
アメジストの瞳を大きく見開き呟くラヴィに、眉をひそめてバルトが聞き返した。
「ルーディと貴方は……やっぱり全然違う」
ああ、なんだってこんな男が、ルーディにちょっと似てるなんて思ったんだろう。
ルーディはこんな嫌な笑い方をしない。
あの絶望の底からラヴィを救った笑みは、もっと屈託なく、もっとずっと素敵だった。
「は?当たり前だろ。そこらの男なんかと一緒にするなよ」
侮辱されたと言わんばかりに、役者青年は顔をしかめた。
「あー、興ざめだ。岸に戻るから、さっさと帰れ……」
鼻を鳴らし、オールを手に取ったバルトが、違和感に顔をしかめた。
「なっ!?動かない……って、氷!?」
いつのまにか、池の水面は硬く凍りついていた。
遠くのボートでも、大騒ぎになっている。
この暖かい国では、池に氷が張るなんて、たとえ真冬であってもありえないはずだ。
突如、鋭い遠吠えの音が聞こえ、ラヴィは振り返る。
分厚い氷の上を、暗灰色の大きな狼が矢のように駆け寄ってくる。
「なんだ!?あのデカイ犬!」
「違うわ!」
叫んで、ラヴィはボートから身を乗り出す。
牙の生えた狼の口が、一瞬だけラヴィの唇とかすかに触れた。そのまま飛び降り、大きな暗灰色の獣にしっかり掴まる。
「最高に素敵な私のつがいよ!」
狼の背に乗って氷上を走る少女と、ポツンと取り残された人気役者の姿は、これ以上ないほど注目を集めた。
しかし狼は近くの茂みに飛び込んであっという間に姿を消してしまったから、周囲の人間はまた池の氷と、どうやって岸にもどるかという難題に興味を戻してしまった。
そして、黒いコートを羽織った品の良い青年が、公園から静かに立ち去った事に気付く者は、誰一人いなかった。
家に帰ったとたん、ルーディとラヴィはどちらともなく抱き合い、唇を貪りあう。
「んっ……ふ……」
甘い口づけに翻弄され、足腰から力が抜けていく。
(あのケーキより、こっちの方が美味しい……)
痺れる脳裏に、チラリとそんな想いが浮かぶが……ラヴィは知らなかった。
ルーディも同じことを考えていただなんて。
***
そして翌日、新聞の見出しはこうなった。
『白昼の摩訶不思議。 公園の池が凍りつく』