冷たい師匠-1
――面白くない。ものすごーーーく面白くない。
しかめっつらのまま、ルーディは早足に通りを歩く。
鎮静剤を飲んでいても、もう少しあの場にいたら、明日の新聞の見出しは、
『白昼の惨劇 人気役者・狼に食い殺される』と、なるところだった。
「!!」
不意に、首筋へゾワリと不気味な冷気を感じた。反射的に跳ね飛び、距離をとって振り返る。
「アハハ。お久しぶりですね」
「お師さま!?」
はるか北国にいるはずの師匠ヘルマン・エーベルハルトの姿に、今日何度目かに目を丸くする。
彼と直接会うのは、もう何年ぶりかになるが、まるで変わっていない。
時を止めてしまった身体はもちろん、服装もあいかわらずで、この暖かな太陽の国でさえも、タイをきっちり占め、黒いコートを着込んでいる。
「どうしてここに?っていうか、来るなら連絡くらいくれても……」
ニヤニヤ笑っているヘルマンに尋ねると、しれっと涼しい顔で返された。
「所用で近くまで来ましたのでね。せっかくですから、意趣返ししようかと」
「へ?」
「僕の居場所を探って、アイリーンに言いつけたでしょう?」
「うっ!そ、それは……ハイ、すいません」
やっぱりバレてたかと、冷や汗をかく。
「別にいいですよ。おかげでサーフィと……」
なんでも平然と言う師が、珍しく言葉を濁し、気まずそうに咳払いする。
「あぁ。それより、サーフィからラヴィさん宛てに手紙を預かっております」
「ラヴィに?……あとで、渡しておきます」
綺麗な封筒を受け取りながら、また少し眉をしかめてしまった。
好きな役者がいるくらいで、文句を言うつもりなんか本当になかった。
それに多分、ダメだと止めれば、ラヴィは行かなかったとも思う。
でも、手に口づけられて嬉しそうなラヴィを見たら、何だかドス黒い嫌な感情が芽生えて、思っていたのと反対の事を言ってしまったのだ。
引き止めて行かせないんじゃなくて、ラヴィ自身から行かないと言って欲しかった。
まったく。あまりの女々しさに、自分に噛み付いてやりたいほどだ。
ふたたび自己嫌悪に陥ったルーディに、ヘルマンが首をかしげる。
「ルーディ?」
アイスブルーの瞳が少し探るような色を帯びた。
「では、確かに渡しましたから」
――が、さっさとヘルマンはきびすを返す。
「お師さまぁ!!??」
ガシッと黒いコートを掴み、涙目のルーディが詰め寄った。
「今!絶対!なんか察しましたよね!?んで、全力で面倒を回避しようとしましたよね!?」
「君こそ、察しているなら、このまま帰らせてくれませんかねぇ?」
ガクガク揺さぶられながら、しごく面倒くさそうにヘルマンが口を尖らせる。
「逃がしてたまるかっ!数年ぶりに会った弟子が元気ないのに、理由くらい聞こうと思いません!?」
「はぁー?別に君の気分がどうだろうと、どうだっていいですよ。数年会わないうちに、僕に関する記憶を美化でもしましたか?」
「……いや、憶えてます。アンタこういう人でした」
ガックリうなだれつつ、細身の師よりはるかに長身のルーディは、ズリズリとヘルマンを道脇へ引き摺っていく。
そして、非常に迷惑そうなヘルマンに、劇場の出来事を半ば強制的に聞かせた。
「―――まったく君は阿呆ですねぇ」
聞き終わると、呆れ顔でヘルマンは肩をすくめた。
「行って欲しくないなら、そう言えばいいじゃないですか。子どもじゃあるまいし、何を意地になってるんです」
「……お師さまがそれを言いますか」
「何か文句あります?」
「いえ……別に」
仕方なさそうに、ヘルマンがため息をつく。
「まぁ、サーフィの件では君に借りを作ってしまいましたからね。こっそり様子を伺うくらいなら、協力しますよ」
「やった!じゃぁお師さま。まずは……」
大喜びで、ルーディはヘルマンの黒いコートを差す。
「その暑苦しい服を脱いでください。メチャクチャ目立つんで」
太陽の輝く国、イスパニラ。
本日は晴天で、道行く人は胸元を開け袖をまくり、涼しさ取り込もうと努力している。
周囲を見渡し、それからニコニコ顔のルーディを見上げ、ヘルマンはもう一度、大きくため息をついた。
「……やっぱり関わるんじゃありませんでした」