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夕焼けの窓辺
【その他 官能小説】

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第2話-6

車内ではいつものように振舞っていたが、内心彼女の心は穏やかでなかった。
今夜、自分は人生で大きな転機を迎えることになるだろうから。
…二度目に来た彼の家は、最初よりも幾分か片付いていた。
「どうだ、だいぶきれいになっただろ?」
得意気に話す圭輔の子どもっぽい一面が英里はおかしかったが、それを素直に褒めてあげられる彼女ではない。
「…でも、すっごく暑いです」
「うっ…それは…」
激貧生活の彼は、未だにクーラーも持っていない生活をしていたりする。
「仕方ないだろ、電気代だってバカにならないんだから」
「先生、こんなに暑いのによく我慢できますね」
「我慢には慣れてるからな」
…本当に、我慢することには慣れている。
自分は今日もきっと自制する、いや、しなければならないのだ。
意地っ張りな英里の性格を考えると、勢いで引っ込みがつかなくなったことはわかりきっている。
そして自分も、迷いを抱いている彼女を抱くことが、正しいのかどうか判らない。
だから自然にそういう関係になれば良いと思っていた。
彼女を下手に傷つけるより、その方がよっぽど良いに決まっている。
誕生日というのはあの場のみのただの口実で、彼女から望まない限り、彼は決して触れるつもりはなかった。
「ちょっと着替えていいか?」
「あっ、はい、どうぞ……」
慌てて英里は後ろを向く。
一部屋しかない狭いアパートなので、他の部屋で待つというわけにもいかないのだ。
服が擦れる音だけがやけに響く。
静かな部屋で、自分の鼓動も悟られはしないか、つい彼女は心配してしまう。
憎まれ口とは裏腹に、彼女は緊張でその場にいるだけでも崩れそうだった。
「…水越さん?」
着替え終わった圭輔にいきなり肩を叩かれて、英里ははっと我に返った。
「ごめんなさい、気付かなくて…」
素早く笑顔を作ってみせた。
一瞬、戸惑いの表情を見せた英里に気付かないふりをして、圭輔は言葉を続けた。
「それより、何か食いたいもんない?」
「え…?」
「俺が作るからさ」
「先生が…?料理できるんですか?」
「…俺が何年、一人暮らししてきたと思ってんだ?ちなみに、ケーキも俺が作った」
台所からエプロンを携えた圭輔が、不敵な笑みを見せる。
「先生ってすごい…」
料理なんてからきしだめな英里は、今までにないほどの羨望の眼差しを向ける。
…傍から見ると、かなり間抜けな姿なのだが。
「じゃあ、スパゲティとか…食べたい…です」
「そうだなー…んー……パスタもあるし、大丈夫そうだな」
圭輔が台所に立ってから、英里は所在なくテレビでも見たり、部屋の様子を見回したりしていた。
「何か、手伝いましょうか?」
「いいから座ってなさい」
すげなく追い返され、仕方なく、英里はソファに座って料理をする圭輔の後姿を見つめていた。
30分後、出来上がった夕食を英里は口にする。
「…おいしい」
英里からすれば、信じられない位に、圭輔は料理が上手かったのだ。しかも、手際もいい。
香草入りのキノコパスタに、海藻サラダ。
男の一人暮らしでこんな繊細な味が出せるなんて、意外だった。
英里が嬉しそうに食べている姿を、満足そうに圭輔は見つめる。
自分の手料理を人に振舞うのは久しぶりで、何だか心が温まるのを感じた。
「……先生は、食べないんですか?」
ふと気付くと自分ばかり食べ続けていて、英里は気になって問いかけた。
「いや、水越さんは可愛いなぁと思って…」
突然の圭輔の発言に、英里は顔を赤らめる。
「じょ、冗談言うのやめて下さい!」
「冗談じゃないよ。そんな美味そうに食べてくれると俺も嬉しい」
再び、食べ始めようとするが圭輔の視線が気になって食べられない。
こうなってくると、自分の一挙一動がとてつもなく気になって仕方がなくなってきた。
「あの、あんまり見つめられると…恥ずかしい…」
「そうだな、ごめん」
苦笑を漏らしつつ、圭輔もようやく食事を口に運び始める。
「うん、我ながらなかなかいけるな」
食後のケーキも控えめな甘さに、絶妙な柔らかさでとろける生クリームがとても合っていた。
逆に、今度は英里が圭輔の方を見つめていた。
「私も…料理、習おうかな」
「ん?」
「先生は、何でもできるのに、私は、何もできないから…」
昔から、真面目が取り柄で優等生な自分。
親からの期待に応えることだけが目標だった今までの自分。
圭輔といると、たまに自分の無価値さを思い知る。
真面目な自分を演じることで、どれほどの貴重な体験を、感情を失くしてきたのか。
つい感傷的になっている英里に、突然いつかの痛みが額に走る。
「痛ぅッ!せ、先生また…!」
「何言ってんだよ。俺は必要に迫られて出来るようになっただけなんだし、そんな暗い顔すんなって。水越さんは、今のままでいいよ…」
つい、気障な台詞を言ってしまった照れ隠しのように、圭輔は引き出しの中から細長い箱を取り出し、英里に手渡す。
「誕生日おめでとう」
英里はゆっくりと包装を開いてゆくと、中身は細めの赤い革のベルトの腕時計だった。
「ありがとうございます…すごく嬉しい」
思わぬプレゼントに、うっすら涙目になった英里が、愛おしそうに彼からの贈り物を見つめる。
そうだ。自分が失ってきたものの一部を、目の前の人が埋めてくれた。
「先生…」
徐々に、二人の距離が縮まり、唇が触れた。
軽く触れたまま、しかし、時が止まったのかと思わせるほど長く、静かな、キスだった。
「先生の唇、甘い…」
ぺろりと赤い舌が、英里の唇の間から覗いて、微かに残る生クリームの甘味を舐め取る。
無意識のうちの行動だろうが、とても蟲惑的な仕種だった。
「…。」
圭輔は、無言でケーキを頬張り始めた。
英里も、それに合わせて残りのケーキを食べ始める。
時折、視線を上げて圭輔の様子を見つめる。


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