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深海の熱帯魚
【純愛 恋愛小説】

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.20 久野智樹-2

「智樹君、大丈夫?」
 ふと振り返ると、掃出し窓を開けて君枝ちゃんがベランダへ出てきた。俺は目を合わせられなかった。
「もしかして、酔っぱらってる?」
 俺の顔を覗き込もうとしているのが分かり、俺は顔を背け「大丈夫」とだけ言った。
 ふーんと言って彼女もその場に座り込み、海の方を向いた。
「きょ、今日はごめんな」
 俺はそんなに酔っていないのに、うまく言葉が出てこない。彼女は怪訝そうな顔でこちらを見遣った。
「何が?」
「あの、海に、強引に、引っ張ってっちゃって、その」
 しどろもどろになるっていうのはこういう事を言うのかと、一人で納得した。君枝ちゃんは静かに笑って下を向き、口を開いた。
「いいの。みんな優しいから、リハビリが捗ってる。さっきもね、塁とその話をしてたんだ」
 俺は部屋の方を振り返った。塁が缶チューハイを飲みながら壁を背に、死んだ魚のような目でこちらをじっと見ている。視線で殺されそうだ。
「さっきのも、その、リハビリってやつ?」
「へ?何が?」
 彼女は何の事かさっぱり分かっていない様で、小首を傾げている。上気した頬と相まって、いつもより可愛く見える。
「さっき、塁と手、握ってたよね」
 言いながら心臓が締め付けられるように痛かった。なぜ塁なんだろうか。彼女は明らかに狼狽えている様子で顔を左右に揺らしている。言わない方が良かったか。
「あれは、その、流れ的に、うん。リハビリ、の一環」
 そう言って作り笑いをこちらに向けた。こんな笑顔、嘘を吐く時にしか使わないだろう、普通。
 さっきの数十分で、二人の間に何かがあったんだろう。
 塁が告白した?それも十分考えられる。結果どうなった?二人は一緒に戻ってきたのか?俺はそれを見ていない。でも君枝ちゃんは普通の様子で俺に話しかけてきた。となると、そう深刻な話にはなっていないと予想する。
「君枝ちゃんさぁ」
 俺は思い切って口を開いた。真横に座っていた君枝ちゃんは、俺を警戒してか、少し距離を取っている様に感じる。その顔が、こちらを向いた。
「まだ俺の事とか、怖い?」
 俺は彼女に目線を合わせると、瞳が左右に揺れているのがはっきりわかった。やっぱりまだ......「大丈夫」はっきりと通る声で彼女が答えたので、俺は少し驚いた。
「智樹君は私に何もしないって分かってるから、怖くない。でも、男の人、って包括的に考えると、怖くなっちゃうんだよね」
 首を傾げながら頭の辺りをペタペタ触る仕草が可愛らしかった。
「智樹君、って考えればいいのかな、塁、とか至君、とか。個人名でさ」
 俺はゆっくり頷いて「そうかもな」と呟くように言った。俺は一大決心をした。
「じゃぁさ、俺の手、握ってくれる?」
 ベランダのコンクリの上に俺は手の平を上にして置いた。拒否されればそれまでだ。塁との間に歴然とした差を認めざるを得ない。
 彼女は俺の手と俺の顔を順番に見て、それからおずおずと白く細い腕を差出した。そして小鳥でも掴むように柔らかくそっと、俺の手を握った。
「良かった」
 俺は安堵から来る笑みを零した。きっと今日一日で一番の笑顔になったと思う。
「良かった」
 君枝ちゃんも握った手をそのままに、笑顔を覗かせた。今日一番かどうかは分からないが、俺が君枝ちゃんに出会ってから初めて、柔らかい笑顔に会えた。
「暫く、握っててもらってもいい?」
 特に理由なんてなかった。ただ、繋がっている事が嬉しかったから、そう言った。
「うん、いいよ」
 手の平から暖かい何かが伝わってくるのだけれど、それを真後ろから遮断するように視線を送ってくる塁がいる。そのうち後に何かが動く影が近づいて来て、塁だと分かった。
 ガラガラと窓が開いて「なーにしてんの」と棒のような喋り方で言葉を浴びせてきたので、彼女は「ヒャッ」と言って手を引っ込めた。
「進歩しましたねぇ、矢部君」
 そう言うと、ベランダに出て、俺と君枝ちゃんの間にドンを座った。
「あの酔っ払いのお二人さんはさぁ、きっと二人で寝るっつーか、寝るかどうかも分かんないから、俺ら三人分の布団を敷こうと思うんだけど、さて、どうやって寝る?」
 一気に捲し立てる塁を見て、君枝ちゃんは目をぱちくりさせている。俺は今になって、そうか、同じ部屋に寝るんだったと気づく。
「私はどこでもいいけど......」
 そう言うと思っていたが、そう言ったか。と思ったら急に「やっぱり端っこ!」と叫んだのは君枝ちゃんだった。
「じゃぁ端っこは矢部君。じゃぁその隣は?俺?智樹?」
 端っこを選んだ君枝ちゃんの意図がよく分からないまま、俺は選択を迫られていた。
「さっきお手て繋いでたみたいだから......」
「おいっ、あれはリハビリなの!」
 俺は焦って食いつくと、一瞬塁はニヤリと悪い笑みを零し「リハビリなのか」と言った。
「じゃぁ今度は俺がリハビリしてあげる番ね。俺が矢部君の隣ぃ」
 本当に小学生の修学旅行の様なノリで塁が言うので、俺は項垂れた。何なんだコイツ。お前だって君枝ちゃんとリハビリでお手て繋いでたじゃないか。
 ん、もしかしてさっきのアレは、リハビリじゃないのか?そこを突っ込めばよかったと酷く後悔をした。


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