遠回りの幸せ-4
『お前、これ幾らするか知ってるのか・・・・?若いワインだから、もう少し後に楽しもうと思ってたのに・・・・』
彼女がワイン好きなのを完璧に忘れていた。安易に冷蔵庫の中に入れておいた俺にも責任があるが・・・・
人生の中で、五本の指に入る後悔がまた増えた。あまりに落胆している俺を見て、よっぽど気まずかったのか、彼女が重く口を開いた。
『あ・・・・ごめんなさい・・・・そんな高いワインだなんて知らなかったし。それに、一緒に呑みたかったから・・・・』
彼女の『一緒に』って言葉に救われたからなのか、それとも取り乱した自分自身がみっともなかった為なのか、緊張が解け、少し冷静になれた。自然と笑みがこぼれる。
『まぁ、イイか。一人で呑んでも味気ないし。愛美のワイン好きを忘れて隠さなかったか俺も悪いからな。一緒に呑むよ。もう少しツマミ作るか!』
俺は台所に向かい、冷蔵庫からトマトを出し、調理にかかった。皮を剥き、乱切りしてると、真後ろから声がした。
『あの・・・・ホントに怒ってない?』
ちょっと怯えた声。彼女なりに反省してるんだと感じ取れた。
『怒ってたらツマミなんか作らないよ。それより、その棚にあるオイルサーディンと乾燥バジル取ってくれない?』
怒ってないのを悟ったからなのか、返事が明るくなった。
『あっ、オーブン焼きするの?私、好きなんだ。久々に食べれるんだネ。』
『でも、この料理はあのワインにはイマイチ合わないかも。まぁ、文句は受け付けないけど。』
『そんなの気にしないよぉ。明人の料理食べるの、楽しみなんだから。』
台所での何気ない会話。だけど、心の中が今までにない幸せと充実感が満たされていくのが分かった。いつの間にか、他愛の無い話をしながら、二人で料理をしていた。彼女が冷蔵庫の中にあった水菜でサラダを作り終えた時には、トースターに入れたオイルサーディンは、イイ感じで焼けていた。
図らずとも、豪勢な夜になった。二人ともグラスを傾け、ツマミに箸を伸ばす。酒が進むにつれ、俺と愛美は昔の二人に戻っていた。いや、それ以上だったのかもしれない。俺はこの環境に、何物にも代えがたい幸せを感じていた。
《このまま、この時間が続いて欲しい・・・・出来るなら、一生・・・・》
しかしそれは、俺の何気ない一言でぶち壊しになった。
『今、俺と和哉で会社経営してるんだ。』
気が付いた時には遅かった。彼女から発せられた言葉でそれは現実の物となった。
『うん、知ってる。二人で店に来たもんね。』
『あ・・・・ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。ただ・・・・』
話を遮る様に彼女が口を開いた。
『分かってるよ、明人。でもね、聞いて欲しいの。今の、それと本当の私を。』
覚悟を決めた時の女性は恐ろしいくらい強い。とても俺じゃ、勝てっこない。俺は、取り繕う言葉を考えた。だが結局、次の言葉が出てこなかった。それを察してなのか、彼女が話し始めた。
『単刀直入に言うよ。私は明人が好き。初めて会った時から好きだったの・・・・でもね、ダメになった時の事を考えたら恐かったの。友達のままなら、ずっとそばにいられるって思った。けど私、勇気なくて・・・・一生懸命、頑張った時もあれでしょ。嫌われたと思った。だから明人の前から消えたの。仕事も部屋も、全部変えちゃったんだ・・・・』
混乱しているんだろう。声はしっかりしているが、話の流れがメチャクチャだった。緊張と恐怖で一杯なのは俺にも手に取る様に分かる。俺はまだ口を開けないでいる。
《ここで何か言わなきゃ。愛美は勇気を出したんだっ!男ならっ、男ならここでっ!!》
短く、永い時間が経った。未だに何も言えないでいる情けない俺と、勇気を出し尽くして瞳を潤ませた愛美がいる。
『何かごめんネ。変な話して。今晩の事は気にしないで。忘れちゃってイイから。って言うか、忘れて・・・・』
席を立ち、脱衣所の扉に向かう彼女。着替えて帰るつもりなのだろう。しかし、このまま帰すワケにはいかない。ただでさえ遠回りした二人だ。また逆戻りになるワケにはいかない。自分では分かっている。分かっているけど言葉が出ない。そうしている間に、彼女は扉に手を掛けた。
《こうなったら、イチかバチかだっ!》
『待てよっ!!』
彼女の動きが止まる。
『お前、タダ酒呑んで帰るつもりかっ!?しかも、こんな高い酒、半分以上空けやがって。』
ヤケだった。バクチだった。どんな手を使ってでも引き止めなきゃいけないと思った。気の利いたセリフなんて思い浮かばない。気分は特攻隊だ。彼女は何も言わず立ち尽くしている。
『・・・・・・・・』
『黙ってないで何とか言ってみろよっ!』
明らかに挑発的、って言うか好戦的な発言。肝心な時に不器用な俺に、俺自身が腹立たしい。しばらく続いた重苦しいい沈黙。その空気に耐えられなかったのか、彼女が口を開いた。