エピローグ-1
――その酒場は、とても見つけにくい場所にある。
ごく近場でもあるし、この世の果てと言ってもいいくらい遠くもある。
ようは辿り着き方を知っているか否か、だ。
よって、客も限定されてしまう。
立派な口ひげをたくわえた中年男のバーテンが、いつも店内をピカピカに掃除しているが、今日も客は、カウンターに男が一人座っているだけだった。
それだって珍しい。
どことなく沈んだ様子の赤毛の客は、酒に手をつけるでもなく、物憂げにカウンターへ肘をついている。
まるで、たったいま失恋したて……とでも言わんばかりの様子だ。
入り口の開閉を知らせるベルが鳴り、暇そうにグラスを磨いていたバーテンが、うろんな視線を向けた。
「おおっ!?ヴァイオリン弾き!久方ぶりじゃねーか!」
道化のような服装をして、手にはフルートを持った若い男は、カウンターに座る赤毛男をみつけると、驚きと喜びの声をあげた。
ひょろ長い身体をくねらせ、踊るような足取りで店内を進み、隣りの席へと飛び込んだ。
黄土色の髪に乗せたトンガリ帽子が、生物のようにゆらゆら揺れる。
赤毛男は、どちらかといえば迷惑そうな表情を浮べたが、それでも足元のヴァイオリンケースを脇へずらし、『笛吹き』のために場所を空けてやる。
「あ、俺にも同じの!」
赤毛の男の前にあるコップを指差し、バーテンが頷くと、笛吹きは軽快に隣人へ喋りかけた。
「まったく、この店はいつ来てもカラッポだからなぁ!誰かがいるなんて、ホント珍しいぜ。この前に『楽団』の全員が集まったなんて、何百年まえか憶えてもねーし。時間がありすぎるってのも、かんがえもんだなぁ?」
赤毛男は相槌すら打たないが、笛吹きはおかまいなしに喋り続けた。
「なぁ、せっかくだし一曲どうだ?俺は酒が入ると、コントロールが難しくなるんだが……飲む前ならイイだろ?」
最後の部分は、バーテンに言ったものだった。
また無言でバーテンが頷くと、赤毛男……バイアルドはヴァイオリンをケースから取り出した。
神父服ではなく夜会用の礼服を着ており、その顔は……カテリナが見たら、仰天するだろう。
彼女と初めて会った時よりも、むしろ若いくらいだった。
ヴァイオリンの弦が動き、流麗な夜想曲が流れ出す。
笛吹きのフルートから流れる音色も加わり、目に見えない音のせせらぎが、酒場の中に漂い舞っていく。
演奏が終わっても、音色は消えず、店の外へと流れ出て行った。
“悪魔の演奏者たち” が奏でた魔性の音色は、さぞかし人間達の心をかき乱し、さまざまな運命を狂わせることだろう。
「ハハッ!!一人でやるのもいいが、やっぱこうじゃねーとな。楽団が全員集まりゃ、もっと爽快なんだが」
カウンターに戻った笛吹きは、ヒラヒラと音色たちに手を振って見送り、満足そうに高笑いした。
「なーなー、ヴァイオリン弾き。シシリーナ国にいたんだろ?あの国にゃ欲深い奴らが多いからな。たんまり欲望を稼げたか?ん?なぁおい、さっきから俺ばっか喋ってんじゃねーか。ちったぁお前の話も……って、そーだ!思い出したんだけどさ、シシリーナ国っていやぁ……」
ペラペラペラペラ……笛吹き男の陽気なトークは止らない。
ヴァイオリン弾きは酒を飲みながら、相手の望み役どおり、黙ってそれを聞き流す。
――いつもながらまったく、コイツの相手役は楽でいい。
久方ぶりの旧知が、一言も話す必要がない相手で、本当に良かった。
あの豊かな混沌とした国の出来事を、一言だって話すものか。
腐りきった教会に入り込んで、欲望を吸い込み、薄汚れた魂をいくつも手に入れた。
最後の仕上げにと、スラムの子どもを拾って育てはじめた。
彼女は偽りの神を信じ、とびきり純真に育っていった。
その魂が、絶望に黒く堕ちるように……悪魔にとって、極上の「白と黒の魂」になるようにと、偶然を装い現実をわざと教えてやった。
くるくるくるくる。
面白いように、悪魔の養い親の手の平で、天使は踊ってくれた。
……思い通りにならなかったのは、彼女が堕ちなかった点。
何度絶望させようとしても、甘い言葉を囁いても、彼女は堕ちなかった。
クソったれが!
言えるもんか!!
諦めたあげくに、幸せへの足がかりを作ってやったなんて!!
……まぁ、仕方ない。
『父親役』を望まれたのだ。
せいぜい、『娘』の結婚相手に合格とみなした相手と幸せになれるよう、祝福してやろう。
彼女にうっかり恋してしまったなど、『悪魔』としても『父親』としても間違っているのだから。
「……で、それがまた傑作でさぁ!って、おーい!また俺ばっか喋ってんじゃねーか!たまにはお前も話せって!ん?そーいや、さっき言い忘れてたけど…………」
終