天使に告白-3
石造りの小さな礼拝堂の中は、無人だった。
ここにはもう何年も神父は訪れず、ミサも開かれない。
掃除のメイド以外に入るのは、カテリナくらいだった。
ステンドグラスを通過した朝日が、鮮やかな色彩の光をかもしだしている。
「ルーファスさま?フィオレッラさまがお待ちで……」
「……フィオの事は思いやるのに、俺の気持ちは無視か?」
両腕で引き寄せられ、抱きしめられたと理解した時には、もう唇を塞がれていた。
「んぅっ!?」
腰と後頭部を押さえられ抗おうとしても振りほどけない。
舌で唇を割られ、口内を散々嬲られて、足から力が抜けていく。
やっと口が離された時には、表情はしどけなく蕩け、涙の浮かんだ目じりが赤く染まっていた。
「ルー……ふぁすさま……からかうのはもう……」
嬲られすぎて痺れ、うまく回らない舌で必死に抗議する。
しかし、鋼の輪のように締め付ける腕は少しも緩まず、ルーファスの表情は更に険しくなる。
「からかう?この場で押し倒して抱いたら、信じてくれるか?」
「なっ!?」
「俺は……カテリナに恋してる」
耳元で小さく囁かれ、これ以上無いと思っていたのに、心臓の鼓動がさらに早まる。
身じろぎすらできず、間近に迫る青空の瞳から、目が逸らせない。
「それとも、他に好きな相手でもるのか?」
「そんな人は……」
逸らした視線の先に、壁にかけられた大きな十字架が写った。
――――かみさまは、わたしを おゆるしに ならない
不意に、そんな声が聞えた気がした。
呆然と十字架に見入っていると、また顎を掴まれて、ルーファスのほうを向かされた。
「こんな状況でも、神さまの事しか考えないわけか。本当に天使みたいだな」
「私は、天使などでは……」
もう一度、深くキスをされた。
「やめ……っ!ここは……」
祈りを捧げるべき神聖な場所、神の家だ。
それでも、何度も引き寄せられる甘い口付けに逆らえず、くらくらする陶酔感に、理性が蕩けていく。
「……ハ、そうだな、俺には身分くらいしかない」
とても傷ついたような顔で、自嘲気味にルーファスが笑った。
「ルーファスさま……そんな事……」
身分だけなんて、そんなわけない。
この領地の民は、とても幸せに暮らしている。
城の使用人たちも、主人を敬愛している。
それは、ルーファス自身の努力の結果だ。
他の人に対する感情と、ルーファスに対する感情が、ほんの少しづつ変わり出している事に、ずっと気付かないふりをしていた。
とても世話になっている恩人だから、と言い訳すれば、実に簡単に誤魔化せた。
そう言いたかったけど……
「ルーファスさま……私は、貴方をとても親切な方と思います。心から感謝しております」
目を瞑って深く息を吸う。
ルーファスの事がとても好きだ。
だからこそ余計に、誰にも告白できない不安が、胸中に渦巻いている。
夜毎、悪夢を見るのだ。
暗闇の中、両手は真っ赤な血に染まり、銀色の細長い十字架が、冷たい光を放ってカテリナを見下ろしている。
許される事のない罪人だと糾弾されるような気分になる、赤と銀の夢を……。
「……けれど、恋はいたしません」
言葉のナイフで、自らの心臓を深く深くえぐった。
たとえ、あの不気味な夢が、自分の過去に関係なかったとしても、身元の不確かな娘との恋など、ルーファスにとっては害にしかならない。
「そうか、じゃぁ、あと俺にできるのは、せいぜい君の良心に付け込むくらいだ……『恩人』なら、君をいくらで買える?」
「!?」
信じられないセリフに、カテリナは耳を疑う。
「わ、私は……売り物じゃ……んっ!」
黙れといわんばかりに、また唇を塞がれた。
体中を熱がかけめぐり、身体の芯から知らない感覚が湧き出てくる。
「ああ。君の心は誰も手に入れられやしない」
首元のボタンを一つ外され、ツキンと痛みが走るほど強く吸われた。
「っん!」
ゾクリと、背骨を何かが走りぬけ、跳ね上がるような声が出た。
力の抜けた手を取られ、うやうやしく口付けられる。
「だからせめて……身体だけでも手に入れる。決めた」
抱きしめる腕が、背中から腰のラインをスルリとなぞった。
「やぁっ!!!」
「―――ふぅん」
パっと、手が離される。
「……?」
涙目でカテリナはルーファスをみあげた。
「なんだ、続きをしても良かったか?」
「ル、ルーファスさま……?」
「ハハハ!予想以上に色っぽかった。やっぱり俺の添い寝係りに……」
乾いた音が、静かな礼拝堂に反響する。
気付いたら、ルーファスの頬を思い切り引っ叩いていた。
「あ……」
呆然と、赤くなった領主の頬と、自分の手を見比べる。
「……悪かった。今朝の食事は部屋に運ばせる」
なのに、先に謝ったのはルーファスのほうだった。
彼はカテリナの横を通り過ぎていき、背後で礼拝堂の扉を開ける音がした。
そのまま振り向くことすらできなかったが……
「怒ったのは、『キスされた事』と『からかわれた事』のどちらにか、そのうち聞かせてくれ」
扉が閉まる前に、その声ははっきり聞えた。
「答えがどっちでも……明日も、カテリナが起こしてくれるまで、俺は起きないからな」