二人のペース-1
翌朝、二階の健人の部屋から一階へ降りると、まだ晴人は部屋から出ていなかった。
朝ご飯の支度をしようとすると、あとから眠い目を擦りながら健人が出てきた。
「俺は何をすればいい?」
「じゃぁヨーグルト分けて」
置いてあったプレーンヨーグルトを、三つのカップに分配する。
ギギィと音がして、晴人が部屋から出てきた。
「おはよ」
「おはよう」
何となく顔を合わせづらい葉子は、ハムエッグを焼くフライパンから目を離さなかった。スミカから上手なハムエッグの作り方を教わった。
「葉子、昨日はどこで寝たの?」
答えが分かり切っている質問をぶつける晴人は意地が悪いと健人は思った。
「兄ちゃん、その話は後で俺としよう」
晴人は苦虫をかみつぶしたような表情でダイニングテーブルに座った。
朝食を終え、全ての片づけが済むと、三人とも示しを合わせたようにソファに座った。
最近は晴人の隣に葉子が座る事が多かったが、今朝は健人の隣に葉子が座った。
「性的不一致ってとこだな」
健人が第一声を上げた。
「性的不一致?」
葉子は下を向いたまま顔を上げない。こんな話を大っぴらにしたくない。
「要は、兄ちゃんががっつき過ぎだったって事だよ。セックスに執着しすぎ」
晴人の視線を痛い程浴びているのが葉子には感じられ、更に顔を上げづらくなった。
「男なんて大体そんなもんだろう」
「俺は違う。俺は執着しない」
テーブルに置いたクッキーに手を伸ばし、口に一つを放り込んだ。
「そんな事が理由で、健人になびくのか、葉子は」
葉子は「そんな事」と言う言葉に酷く反応した。
「そんな事って何?晴人にとってはそんな事かもしれないけど、私にとっては、重要な事なんだから」
「じゃぁパンク好きな人がいいってのは、もう関係ないって事なの?」
晴人は勝ち目のない戦と分かっていても、反論せずにはいられなかった。
「あれは、パンク好きな人じゃなきゃいやだっていう隠れ蓑で自分を隠して、人との距離を取ってただけって、健ちゃんと話してて分かったの」
一気にまくしたてた葉子は少し息切れをしている。晴人は項垂れて、何かを消し去ろうとするかのように頭を左右に振っている。
健人はクッキーを食べる手が止まらない。
「何か、シェアハウスでこういう事があると、やりづらいな」
頭をポリポリ掻きながら、苦笑する晴人に「俺の気持ちが分かったか」と健人が冷たく一瞥した。
「次は俺のターンだ。兄ちゃんが幸せだった分よりもっと多く、俺は幸せを手に入れる」
放り投げたクッキーが口の中に吸い込まれる。
「私はこれまで通り、晴人に接してもいいんだよね?」
二人を順繰りに見る葉子に「勿論」と晴人は頷き、健人もそれに倣った。
「隙あらば取り返す」晴人は強気で言ってみたものの、健人には勝てないような、そんな気がしていた。
「これで良かったのかな――」
晴人は自室へ戻った。残ったのは横並びに座った健人と葉子だった。
「うーん、良かったかどうかなんて結論は、付き合っていく中でしか出てこないよ」
そうだよね、と葉子はソファの背に凭れた。
「付き合ってみないと分からない、今回みたいな事も、あるんだもんね」
「そうだね」
晴人の事は変わらず好きだ。趣味も合うし、楽しい。ただ、恋人として身体の関係を持ってしまうと、彼の性欲についていけない。
たったそれだけ。たったそれだけなのに。
健人には欲張った性欲というものがない。
そんな事だけで、恋人を決めてしまった。
「そんな事」?葉子の中では重要な事だった。性的に繋がりあっているという満足感は時々で良いし、お互いの生活を考えて避妊もすべきだし。パジャマの壁を取っ払って抱き合って寝るだけでも、葉子にとっては最高のひと時だった。
やっぱり晴人にはついていけない。