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数ミリでも近くに
【大人 恋愛小説】

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切欠-1

「葉子は部署のバーベキューだって」
「へ?このクソ暑いのに?」
 七月に入り、ダイニングキッチンを照らす天窓はカーテンで覆った。
 日差しが容赦なく照り付けるからだ。
 古びた脚立を晴人が支え、健人がそれに乗っかってカーテンを取り付けた。
「麦茶飲む人ー」
 晴人も健人も「はーい」とだる気に手を挙げた。
「俺、一杯飲んだら出かけるわ」
 晴人が誰ともなしに言った。
「このクソ暑い中、どこ行くの、兄ちゃん」
「彼女んとこ。ちょっと危機的状況でね」
 あちこちに散らばせた髪をぎゅっと掴んだ。
 スミカがお茶を三つ運んできて、テーブルに置いた。氷が涼しげで、健人はわざと指で氷を転がしている。カランカランと風鈴の様に音が鳴る。
「ねぇ、葉子とはどうなったの?」
 隣に座る健人に話しかけたのはスミカだった。
「そうだよ、その後どうなった?告ったの?」
 好奇心丸出しで向けるその顔が何だか可笑しくて、健人は笑ってしまった。
 ヒトってのは何でこうも、他人の恋愛に首を突っ込みたくなるんだろうか。
「あぁ、伝えたよ。好きだって」
「で、返事は?」
 スミカは健人の顔の間近まで顔を近づけて、訊いている。
「ちょ、近い。返事はまぁ、弟としてしか見れないって事だった」
 スミカは大げさに落胆する仕草をした。あくまでも仕草だ。
「それは残念だったね」
「いいんじゃないの?弟として好きだって事なんだろ?好きに変わりは無い」
 まぁね、と健人は間抜けな返事しか出来なかった。間抜けなのは兄ちゃんか。
 弟として好きだなんて、そんな返事は欲しくなかったんだ、本当は。
 俺は葉子の彼氏になりたかったのだから。
 葉子の事は俺が守りたかったのだから。
「さて、俺は自分の恋愛を立て直しに行ってくるわー」
 さも面倒臭げに顔を歪ませ、玄関へ歩いて行った。ブーツのジップを上げ、ドアが閉まる音がする。
 リビングは健人とスミカの二人になった。しばしの静寂を破ったのは、スミカだった。
「本当は、弟扱いなんてして欲しくなかったんでしょ」
 スミカの言葉にそれまで俯いていた健人は顔を上げた。
 外国の人形みたいな顔が、こちらを見つめている。こんなに整った顔の人間を、今まで見た事が無い。そんな事を思った。
「そりゃそうだよ。こんなにマイルドな失恋をする事になるとは思ってもみなかった。気を遣わせたのかも知れない」
 その聞きなれない言葉に違和感を覚えたスミカは「マイルドな失恋って?」と訊いた。
「最後に、抱きしめられた。こんなに残酷な事って、あるか?弟に、抱き付いて好きだなんて言う姉ちゃんが、いるか?」
 普段口数の少ない健人が早口で、珍しく自身を晒し出している。
 健人は自分の脚の間に顔を埋めて肩を震わせている。
「まぁ、今までは兄ちゃんに先手を取られてばっかりだったけど、今回は俺が先んじて行動できたし、後押ししてくれたスミカと兄ちゃんには感謝してる」
 少し震えた声を悟られない様に押さえてゆっくり静かに話そうとしているのが、スミカには伝わった。
 彼の痛みを、分かってあげたい。
「健人――」
 その声に健人はゆっくりと顔を上げた。健人の目尻に少しだけ、光る物を捉えたスミカは、思わず顔を近づけた。
 触れるだけの優しいキスをした。
 スミカの長い睫毛が、健人の頬に触れた。
 健人は目を瞬かせ、手品でも見せられたかのようにスミカを不思議な顔で見つめている。
 スミカは潤んだ瞳を伏せて「ごめん」と一言呟いた。
 そのまま自室へと戻った。


 玄関が開く音がしたのは夕方近かった。
 昼過ぎからずっと健人は、ソファに座ったまま呆けていた事になる。
「たっだいまー」
 声の主は葉子で、何も知らない彼女は馬鹿みたいに明るい。
「あれ、健ちゃん一人?」
「上にスミカがいるよ」
 ふーん、と言って健人の対面ではなく隣に腰掛けた。
「ちょっと見てよこれ、時計の痕くっきり日焼けしちゃったよ」
 半袖焼けもほら、と袖をまくって見せた。
 破壊的な鈍さだな、この人は。そんな風に健人は思い、視線を外した。
 エアコンの温度を一度下げた。顔が熱くて仕方が無かったからだ。


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