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数ミリでも近くに
【大人 恋愛小説】

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静かな告白-1

 考え事ばかりしていて、実験が一向に進まない。
 進まないどころか、壁にぶち当たってしまった。
 葉子に気持ちを伝えたい。でも伝える勇気も、タイミングもない。
 せめて何か切っ掛けが欲しい――。
 「壁」だ。

 葉子の部屋がノックされた。晴人もスミカも出掛けていて、この日もお昼ご飯を二人で食べる事になる。
「葉子、お昼どうする?」
 ギギィとドアが開き、上目使いの葉子が出てきた。
「健ちゃん、何か食べたい物ある?」
 その目線にドキっとしながら、思考回路を巡らせる。
「たーべたいものは、えっと冷やし中華とか?」
「いいねぇ、私もそれ考えてた。多分材料あるから、私作るよ」
 ドアから見えるギターのアンプの電源を落としに行った後姿に「俺も手伝う」と言った。

「じゃぁ健ちゃんは麺係ね。私はトッピング係ね」
 まな板の上で、野菜が細く切り刻まれていく。いつもスミカが料理をしているから気づかないが、葉子も意外と料理が出来る事に気づく。
「隣のコンロ、卵焼くから使わせて」
 麺をゆでる健人の隣で、葉子は手早く薄焼き卵を作る。
「こうやって並んで料理するのも、新鮮でいいねぇ」
 心からの笑顔を向けられたのに、健人は歪な笑顔でしか対応できなかった。それぐらい、緊張していた。

「今さ、実験で壁にぶち当たっててさ」
「うん、進まないの?」
 冷やし中華を食べながら、健人の実験の話をした。
「後で、資料とか持って行くから、アドバイスしてくんないかな。もし良さそうな本とかあれば借りたいし」
 冷静に、冷静に、という思いとは裏腹に、声に焦りが出る。
「私で役に立つかなー。スミカの方が適任かも知れないけど、一応じゃぁ待ってるよ。部屋に来て」
 健人はほっと胸を撫で下ろした。
 誰かが急に帰ってきた場合を想定すると、どちらかの部屋で話をした方が良いと思っていたのだ。
 結局、葉子の部屋に行く事になった。
 シェアハウスに越して来て、初めてだ。


 水色のドアがノックされ、「どうぞ」と葉子が声を掛けた。
 葉子は部屋の真ん中にある毛足の長いラグに座っていて、「どうぞそこに」と対面を促した。
 無言のまま健人はそこに座った。手には資料も何も持っていなかった。
 部屋を見渡す。ベッドはロフトに置いてあるのだろう。ピアノと一本のギター、アンプとカラーボックスが置かれていた。
 晴人の部屋にあるのと同じらしいシドヴィシャスのポスターも貼ってあった。
「あれ、資料は?」
 目を見開く葉子に「ごめん」と一言、消えいるような声で健人は言った。
「本当はそれが目的じゃないんだ。話があって。どうしても二人で話したくて」
 葉子は崩していた脚を正座に座り直し、双眸で健人を見つめた。
「うん、どうした?何があったかお姉さんに言ってごらん」
 健人の顔を覗き込むようにして葉子が見つめて来るので、健人は我慢堪らず目線を外した。一世一代の大勝負。
「俺さ、葉子の事が、好きでさ。それを伝えたくて」
 葉子は、唖然として口を開いたまま、固まった。
「す、すき?え、何それ?私?」
「うん。葉子」
 言葉にして言ってしまった方が案外リラックスできるんだな、と健人は知った。逆に葉子は固まったまま健人から目線を外し、ぎこちなく頭を掻いた。
「健ちゃんは――健ちゃんの事は好きだけど、そういう好きとはちょっと違って、何と言うか、弟みたいに好き、なんだ。分かるかなぁ、この気持ち」
 これを聞いて恋愛対象から外れている事を自覚しない程、健人は馬鹿でも鈍くもない。
「うん、分かるよ」
「好きなんだよ?凄く好きなんだよ?でもそう言うのとは違うの。私、健ちゃんのお姉ちゃんみたいだから」
 必死になって「好き」を連呼する葉子もまた、可愛いくて残酷だなと健人は思う。
「そういう『好き』でも、俺は嬉しいよ」
 これは真実では無かった。そういう「好き」を求めている訳ではない。だけどもう、自分に勝ち目がないことが分かった今、彼女にしつこくまとわりつくのは男としてのプライドが許さない。
「これからも、今までと同じように、仲良しでいたいの。ほら、こういうのの後ってギクシャクするじゃん?そういうの、嫌なの。健ちゃんの事好きだから」
 毛足の長いラグをバシバシ叩きながら葉子は力説する。
 健人は黒縁メガネの向こうから、穏やかな微笑みを放つ。
「好きだ」と連呼されても、健人の手には入らない、葉子。
 それでも、想いを告げられただけで、自分は進歩したと思った。
 今までは晴人の後姿に嫉妬するばかりだったから。今は、晴人のいない舞台に立っている。
「健ちゃん立って」と促される。共に葉子も立ち上がる。
 目の前に立った葉子の両腕が、健人の身体を柔らかく包み込んだ。葉子の頭が、健人の口元をかする。
「こういうことしても、嫌じゃない位、健ちゃんの事は好きだから。これからも仲良くしてよね」
 健人は苦笑いしながら葉子の腰に手を回した。
 残酷な姉ちゃんを持ったな、そう思いながら柔らかな彼女の身体を優しく抱きしめ、片手で彼女のロングヘアーを撫でた。
 ほのかにシャンプーのような匂いが香った。
「実験の質問は、スミカにするから」
 彼女を抱きしめたままそう言うと、葉子は健人を突き放した。
「健ちゃん、初めからそのつもりだったな?私の知識を信用してないな?」
 ハハッと短く笑って、健人は部屋から去って行った。
 葉子はほっと胸を撫で下ろした。
 健人にはこういう事が出来るのに、何で、何で晴人には――。


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