プライベート・ビアガーデン-1
「進藤、明日何か予定あるのか?」
金曜の終電。
『これが終わったら飲みに行くぞ』が合言葉なのに、結局今週も打ち合わせのあとに先方から依頼された資料を作成していたら、こんな時間になってしまった。
毎週のように繰り返される、このやり取り。
…こうして新谷(シンタニ)が隣に座って一緒に帰ってくれるのはこれが最後なんだ。
週が開ければ、新谷は異動してしまう。
異動といってもそう遠くに行くわけではないし、半期に一度くらいは会議で顔を合わせるだろう。
でもそう思うと寂しくて、泣きたくなる気持ちを押し隠して、明るく答える。
「悲しいことになーんにもありません」
そんな私を見て、いつもと同じように新谷が苦笑している。
「進藤はいいオンナなのになぁ。もったいないよなぁ」
…よく『いいオンナ』って言ってくれるけれど、実際そういう目で見てないクセに。
「そういう新谷さんは何か予定があるんですか?」
以前は彼女がいたらしいが、ずいぶん前に別れたと聞いている。
「オレ?明日は一人寂しくベランダから花火見るぞ」
「あ…花火大会明日でしたっけ?」
いつだか川沿いに建つ新谷の住むマンションのベランダから、全国的にも有名な花火大会がよく見える、と聞いたことがある。
「進藤、そういうのに興味なさそうだもんな。人混みはイヤだとか言いそう」
興味がないわけじゃないんだけど。
一緒に行ってくれるようなオトコはもう何年もいませんし。
確かに人混みはキライですし。
言い返すべきか否か一瞬悩んだ隙に降ってきたのは意外なコトバだった。
「予定ないんならウチ来いよ」
「へ?」
「へ?ってもっと可愛い返事はないのか?新谷さんちの特設ビアガーデンに招待してやるからウチで送別会やれ」
「送別会って。新谷さんのご自宅でですか?」
「あぁ。でもうちのビアガーデンは狭いからサシで送別会。どうだ?」
ドヤ顔の新谷。
普段は絶対しないクセに、こうして2人の時はチラっと見せてくれる。
「了解しました。およばれします」
「じゃぁドレスコードは浴衣な。酒は用意しておくからツマミとメシ頼むわ」
「え?招待してくれるんじゃないんですか?っていうかドレスコードありですか?」
「当たり前だ。花火と言ったら浴衣だろ?それに送別会って言ったろー?花見の時のいなり寿司食いたいな。から揚げも上手かったなー」
…いや、フツー送られる側の人間の家で送別会ってしないだろ。
っていうかメニューの指定付ですか?
おまけにドレスコードが浴衣って前日、しかも終電のこの時間に言うか?
「前向きに検討させていただきます」
「ところで進藤は浴衣自分で着られるの?」
「持ってませんし、着られませんが、何か?」
「じゃぁオレが着せてやろうか?」
「できるんですか?」
「あぁ、昔から脱がせるのと着せるのは得意だ」
…さらっとセクハラ発言ですよね?
私の白い目も飄々と受け流すオトコ。
「浴衣は冗談だよ。フツーに私服で来いよ。あんまり遅くなると混むだろうから15時くらいでどうだ?」
「了解しました」
「帰り、気をつけて帰れよ。明日駅着いたら電話しろよ。迎えに行くから」
「アリガトウゴザイマス。じゃぁ、おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
乗り換えの駅で、このまま直進の新谷と別れる。
新谷のアシスタントについて、3年。
サシで飲みに行った回数は数えられないくらいだけれど、自宅に訪問するのは初めてだ。
一度私のアパートまで送ってきてもらったことはあったが、お茶でも、と声をかけたものの、上がらずに帰って行った、下ネタ発言は多かれど、意外にジェントルマン、新谷。
…浴衣はともかく、食事のリクエストくらいご期待に応えないと。
最寄り駅で降りて、駅前の24時間営業のスーパーに立ち寄る。
お揚げとちらし寿司の素、鶏肉、ちょっとした根菜類、それにエビとアボカドとライスペーパー、きゅうりを購入して帰る。
着替えてメイク落として手を洗って、早速明日の準備。
お揚げは前日の夜に煮ておくのが我が家流。
中に詰めるご飯はその分手抜きでちらし寿司の素を愛用してますけど。
煮物用の出汁をちょっと多めにとって、少し自家製浅漬け用に拝借。
板ずりしたきゅうりを適当に切って浅漬けの液に漬け込む。
明日の朝にはいい塩梅に漬かっているだろう。
鶏肉は一口大に切って塩麹とおろしにんにく、おろし生姜を混ぜた厚手のビニール袋にダイブ。
軽くモミモミしてから冷蔵庫へ。
お揚げと煮物が煮えたら本日の業務終了。
シャワー浴びて、ちょっとシートマスクなんてしてみちゃったり。
…もっと一緒に仕事がしたかった。
新谷と組んだばかりの頃は、しょっちゅう怒られてた。
このくらいのこともできないのか?とか、オンナだと思って仕事ナメてんのか?とか。
絶対に目の前で泣くのはイヤで、休憩時間にトイレで一人で泣いたことも1度や2度じゃない。
でも負けたくなくて休日には専門書を読み漁ったり、わからないことは「おまえウザイ」と言われるくらい食いついて教えてもらった。
ウザイって言いながらも、なんだかんだ世話を焼いてくれたし、できなかったことができるようになったり、先方や上層部から名指しで褒められたりすると、自分のことのように喜んでくれた。
上手くいかなくて悩んだ時も、絶妙なタイミングで飲みに誘ってくれたり、答えを導き出すヒントをボソっと言ってくれたり。
…これからは一人でやっていかなきゃいけないんだ。
寂しいし、不安だけど。
明日は笑顔でいよう。
せっかく誘ってもらえたんだし。
持参する料理を仕上げる時間も考慮して目覚ましをかけ、眠りについた。