結婚記念日-1
オレが起きたことに気づいたラブに催促されて、ベッドから抜け出す。
顔を洗って歯磨きして、さっと寝癖を直して。
『やだー、寝癖ついてるよー』
聞こえるはずのない声が聞こえた気がして振り返る。
もちろんそこに声の主がいるわけもなく、ラブがお座りして尻尾を振りまだかまだかとアピールしているだけだった。
身支度を整えて、ラブと散歩に出かける。
戻ってきてから朝食を作る。
もう温かい朝食を作ってオレらの帰りを待ってくれている妻はいないのだから。
『サラダも食べなきゃダメだよ』
別れてからの電話でも、何度か聞いた言葉が聞こえてくる。
苦笑いしながら野菜室の引き出しを開けて、レタスを取り出す。
1人で使うには大きすぎる冷蔵庫。
近くの家電量販店で2人で選んで買った。
偶然にも販売員さんが妻の同級生だったから、かなり値引きしてもらった記憶がある。
次の休みには家電量販店めぐりでもして、一人暮らし用のサイズの物に買い換えてもいいかもしれない。
『まだ使えるのにもったいない』
妻ならそう言うかもしれないな。
ガランとした冷蔵庫の中身を見て、今日こそ帰りにスーパーに寄らなくては。
間に合えば、妻の好きだったケーキ屋に寄ろう。
久しぶりにチーズケーキを買って写メでも撮って送ったらどんな返信が戻ってくるだろうか。
あて先不明で戻ってくるのが怖くて送れないのが自分でわかっているだけに始末が悪い。
普段通り仕事に出かけ、無難に仕事をこなし、ケーキ屋の前で入るか入るまいか躊躇している時に携帯が鳴った。
ディスプレイには、妻の名前と電話番号。
「もしもし?」
ケーキ屋に入るよりも躊躇して、結局通話ボタンを押す。
「ご無沙汰してます、榊です。覚えていらっしゃいますか?」
妻の声が聞こえてくるものだと思ったら、聞こえてきたのは妻の親友の声だった。
「もちろん。その節はお世話になりました」
「いえ…あの今日は紗智子のお母さんに頼まれてお電話させていただきました」
「そうですか。で、紗智子は?」
切り出したきり、言い淀む彼女に話の続きを促す。
「紗智子が…息を引き取りました。友樹さん宛の遺書をお預かりしています…」
必死に感情を押し殺そうとしているのがわかる。
が、何を言われたのかわからなくて、理解できなくて、絶句した。
「あの…もしご迷惑でなければこれからお会いできませんか?お渡ししたいのですが」
「わかりました」
かろうじて出た言葉と、彼女が指定した場所と時間を震える手で手帳に書き込んだ。
通話終了ボタンを押しても、まだこれが現実なのか夢なのか判断できずにいた。