投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

眩輝(グレア)の中の幻
【大人 恋愛小説】

眩輝(グレア)の中の幻の最初へ 眩輝(グレア)の中の幻 21 眩輝(グレア)の中の幻 23 眩輝(グレア)の中の幻の最後へ

神谷の一大決心-2

「どうぞ」
 さすがにここでは「ぴんぽーん」はやらなかった。ドアをノックして神谷君は部屋に入ってきた。
「コーヒー無いけど」と言うと「買ってきた」と紙パックのコーヒーを二つ、袋から出した。
「俺好みの甘いやつだけど、いい?」
「うん、ありがと」
 受け取ったパック入りのコーヒーは、結露で濡れていた。
 小さな一人掛けのソファに神谷君が座ったので、私は向い合せる様にベッドのへりに座った。意外とスプリングの効いたベッドで、身体が不安定になる事に驚いた。お尻を少しずりずりと動かして、安定出来る場所を探した。
「いただきますね、コーヒー」
 そう言ってストローを取り出し、銀色の丸い部分にストローの突起を押し当てると、プツッという音とともにストローは紙パックに飲み込まれていった。
「で、どうした?」
 私は普段の沢城みどりに戻って言った。
「課長とはどうよ?」
 私の頭の中の九割を占めていた課長の事を訊かれて、少し笑ってしまった。それを怪訝そうな顔で神谷君は見ていた。
「どうもこうも、この前奥さんと一緒にいる所を見ちゃってさ」
「それで?」
「隠れた」
「何それ」
 神谷君はソファに凭れ、脚を組んだ。とっても高圧的な態度だ。
「そんで、別れを決心したの?」
 コーヒーを一口吸うとズズズと音がしたので、神谷君は首を傾げながらストローの位置を直した。
「そう言う訳じゃないよ。ただ、ちょっとショックだったってだけ」
「そう言う訳じゃない、のか」
 少し俯いて、何かを考えている様だった。私には彼の頭の中がさっぱり分からず、ずーっとコーヒーのストローをくわえていた。
「俺、好きな子に振られたっつったよね」
「あぁ、そう言ってたね」
 彼は俯いたまま、顔をあげようとしない。顔を覗き込んだが、この部屋は間接照明で暗いので、彼の表情は窺い知れない。
「その子の家によくコーヒー飲みに行くんだけど、その子に好きな人がいるっていうのが分かって、諦めたんだけどさ」
「神谷君、行きつけのコーヒー屋さん何軒あんの」
 私は意地悪そうな声で笑ったが、彼は一切笑わなかった。
「沢城さんって、鈍いんだね」
「はぁ?喧嘩売ってんの?」
 私は片眉をぐいっと上げて悪い顔つきをした。その瞬間彼はすっと顔をあげた。
「鈍いんだよ。俺の行きつけのコーヒー屋さんは沢城さんちだよ。沢城さんは課長に惚れてるって言ったろ。だから俺は振られたって言ったんだよ」
 神谷君が捲し立てる様に一気に喋ったので、私の思考回路は破滅寸前だった。
「だって――子安さん、付き合ってるでしょ?」
「誰でもよかったんだよ。本当に腹いせで付き合ってんだよ」
 暫く何も言えなかった。子安さんを邪険に扱っていたのは、そういう理由だったのか。ただの腹いせで「つきあってやってる」って事か。神谷君、案外酷い事をするんだな。
 私が神谷君を振った?そんなつもりはない。ただ、私は課長が好きだ、そう言っただけ。
 神谷君の事は、そういう風に見た事が無かったから、好きとか嫌いとか、そういう観点で見た事が無かったから――急にこんな事を言われても困る。
 黙っている私をじっと見ていた神谷君が口を開いた。
「俺は沢城さんが好きだ。猫を被ってる沢城さんも、コーヒーを入れてくれる普通の沢城さんも、楽しそうにギターいじってる沢城さんも、どれも好きだ」
 射抜くような視線でじっと私を見る。私の瞳は左右に揺れている。自分でそれを感じる。それぐらい酷く狼狽した。
「あの、言った通り、終わりの分かってる恋愛でも、課長が好きなんだ」
 うん、と彼は視線を外さずに頷き、先を促す。
「神谷君の事は勿論好きだけど、そういう好きとか嫌いとかで考ええた事が無くて――ごめん。コーヒー飲みに来てくれる、心を許せる大好きなお友達って感覚」
 その言葉が彼の事を傷つける事になっても、私は自分に正直でいなければいけないと思った。神谷君の前だけでは、絶対に正直である必要がある。そう思った。

「予約」
 先程まで私に向けていた視線を天井へ向けている。ぽつりとつぶやいた。
「予約すっから。課長がいなくなったら俺が沢城さんの隣に座る予約」
「何それ――」
「予約だよ。だって課長とは終わりがあるんだろ?それが分かってるなら、俺予約するから」
 何だよそれは、聞いた事がないよ、予約恋愛なんて。繰り上げ当選じゃあるまいし。
「だから、神谷君の事はそういう風には見れないって言ったでしょ」
「課長がいなくなるまでに、そういう風に見てもらえるようにするから。なるから。俺、結構しつこいんだ。だからまた平気な顔してコーヒー飲みに行くから」
 よっこらせっとー、と呟いてソファから立ち上がり、ドアへと気怠そうに歩いて行った。私もベッドを降り、後ろについていった。
 彼はドアの前で振り返り、私の目をじっと見つめた。
「全部本気だから。俺、今日言った事手帳にメモしておくから。沢城さんもしておいた方が良いよ」
 そう言ってドアから出て行った。

 翌日の研修はマナーとは一切関係ないような話だったが、各々の上司からの手紙が配られた。内容は、働き方はどうか、課内でどういう風になってほしいか、等本当に仕事の話ばかりだった。
 私は誰からの手紙が来るのかドキドキしていたが、課長ではなくて少しがっかりした。禿散らかした部長からだった。普段全く関わりのない部長からの、中身のないふわふわした手紙を読み、時間の無駄だと改めて思った。
 一生懸命に手紙を読む周囲を見渡した。神谷君とは別グループで良かった、と思った。


眩輝(グレア)の中の幻の最初へ 眩輝(グレア)の中の幻 21 眩輝(グレア)の中の幻 23 眩輝(グレア)の中の幻の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前