課長のお手伝い-2
約束の三時になったので、会計ソフトをスリープさせて印刷室へ向かった。課長は既に一部目の印刷に取り掛かろうとしていた。
「あ、課長、これは元原稿を上下逆ににセットして、こうして一気に印刷すると、レジメ作業がラクになりますよ」
チラリと課長を見ると、ホホォと関心の表情を浮かべていた。
「印刷が終わったら、十二枚をワンセットにしてホッチキスで留めて完成ですよ」
「沢城さんに頼めば、僕がやるより早く終わりそうだな」
私はにっこり笑って見せた。
プリンタからモノクロ印刷の紙が排出されていく。沈黙した中に、コピー機のリズミカルな音が響く。
「沢城さんの喋り方、いいよね」
急に言われたので恥ずかしいというよりは驚いて、課長の顔を見上げた。
「いや、今の女性って強いからね。竹内さんもそうだけどさ、うちのカミさんもそうなんだ。強いんだ。だから君の喋り方を聴いてると安心する」
「そ、そうですか?何か嬉しいです」
これは偽物の声です。偽物のキャラです。だけど嬉しかった。こんな風に、自分の仕草や声を褒めてくれたのは課長が初めてだった。それが偽物の私であったとしても。
コピー機に目を落とす課長を見遣る。
課長クラスにしては若い。優秀なのだろう。フレームの細いメガネに短髪で、清潔感がある。歳の頃は35歳と言ったところだろうか。眼鏡の奥の細い目を、更に細くして笑う顔は、何だか安らぐ。
あっと言う間にコピー用紙の束が山の様に出来上がった。
四つの山に分け、頭から十二枚を数えてホッチキスで留める。ここからは単純作業だ。
バチンというホッチキスの音が、狭いコピー室に響く。
空調は効いているが、部屋の狭さゆえに少し汗ばむ。課長の額には光るものがあった。私はポケットからピンクのタオルハンカチを出し、課長に手渡した。
「汗、結構かくほうですか?」
いいの?といいながらそれを受け取り、課長は額を拭った。
「そうだとね、どちらかというと、汗っかきかな」
タオルハンカチを傍に置き、またホッチキス留めを再開した。
「これ、なかなか大変な作業だね。定時で終わるかなあ」
時計をチラリと見ながら難しい顔をした。
「いいですよ、私なら。何も用事ありませんし」
作業の手を止めずに言った。
「悪いなあ、でも沢城さん、イイ人が待ってたりしない?」
こちらを見る目は、ふざけてなんていなくて、本当に心配をしている風だった。
「いないですよ。大丈夫です。もう半分ぐらいまで終わったかな。頑張りましょう」
課長はメガネの奥にある細い目を更に細めて笑った。
「沢城さんって、お日様みたいな人だね」
「言われた事無いですけど嬉しいです。あ、指先がこんな――」
インクで薄汚れた指先を見せてフフフと笑った。
「ああ、申し訳ないなあ。綺麗な指を。あ、今度一緒に飲みに行こうよ。お礼にって事で。確か甘いお酒が好きなんだよね?」
自分のパーソナルな事を知っていてくれた事が嬉しくもあり、驚きでもあった。
「はい、是非連れて行ってください」
歳の差は十歳弱といったところだけれど、何の問題もない。
穏やかな課長と、いろいろな話をしたいなと思った。
「タオル、洗って返すから」
課長はスラックスのポケッに突っ込んだ。
「いや、いいですよ。私、洗いますから」
「いや、僕の汗なんて汚いからさ」
と苦笑しながら、針切れになったホチキスを交換していた。