One lives-4
翌日。
平日の遊園地で、僕らは最後の時間を過ごした。乗り物は数回乗っただけで、あとは散歩したり、カフェでお茶を楽しんだりした。
彼女のことばかり考えていたからだろうか。
頭痛はそれほど激しくなかった。
「今日は体調、大丈夫なの?」
色鮮やかに咲き誇る花を見ながら、彼女は言った。
「うん、何とか大丈夫だよ」
「結局、直してあげられなかったかぁ」
近くにある噴水から流れ落ちる水音。
ざぁざぁと、哀しく、響く。
その噴水の向こうに彼がいた。
うっすらと笑みを浮かべている。
「でもまぁ、原因は分かったから」
彼を見ながら、僕は言った。
「そうなの。じゃあ直せるんじゃない?」
ゆっくりと、彼が近づいてくる。
そうじゃない。きっと直らないんだ。彼がいて、僕がいる、その不思議。ひとつの体にふたつの意識。頭痛はこれからも続くだろう。彼女がいなくなった後も、僕は同じ日々を送るのだろう。
彼は僕の目の前に立つ。
『もういいだろう?さっさと家に帰れ』
彼は僕の目を覗き込むようにして見た。その目に映っているのは、彼と同じ姿だった。
それじゃあ僕はドコにいるんだ?
そもそも僕はいったい誰なんだ?
ぐるぐると思考が廻る。
「どうしたの?」
彼女が言った。
「何でもないよ。何でもない」
自分に言い聞かせる。首筋を汗が伝った。燦々と照りつける太陽の下、冷たい汗が落ちる。
「大丈夫よ」
言って彼女は僕を抱きしめた。そこで初めて自分が泣いていることに気付いた。あまりの暖かさに、感情が決壊する。
「どうしてなんだ?どうして僕だけが」
希望があるから人は生きていけるんだろう?
『そうさ。だからお前は消えるべきなんだ』
明日があるから今を生きるんだろう?
「落ち着きなさい。あなたはひとりじゃない。ひとりじゃないのよ」
『お前は孤独だよ。今までも、きっとこれからも』
包み込む暖かい温もりと、内から湧き出る冷気と。
「周りを見てみなさい」
彼女に言われて、僕は周囲を見遣る。
午後の陽射しに囲まれて、ある家族が笑っている。あるカップルが腕を組んでいる。ぬいぐるみを着た従業員が踊っている。誰も彼もが、そこに生きている。
「レイも、かれらと同じ。みんな同じなのよ。だから笑いなさい。君は特別じゃない」
君は特別じゃない。
特別じゃない。
影が揺れた。
もうひとりの僕は、焦ったように叫んだ。
『騙されるな!お前は特別なんだ。奴らとは違う』
そう言う彼の言葉は、何故か空々しく響いた。
僕は生きていいのだろうか?
何の意味も無く生き続けていいのだろうか?
体の震えはもうない。
「ねぇ」彼女は呟いた。「キスして」
『やめろ。お前が今、感じているものは次の瞬間には消え行くものだ。よく考えるんだ』
「私からの、最後のお願い」
彼女は静かに目を閉じた。
僕は知っている。それは彼女からの最初のお願いだということを。僕はいつも救われるばかりで、彼女に何一つ与えてやれなかった。もっともっと、彼女を大切にするべきだったのに。
彼女には僕が必要かどうか分からないけれど。
僕はそう、確かに君が好きだった。
今までありがとう。
『無駄さ。俺は消えない。お前が必要なのは、希望でも絶望でもない。俺だからね』
僕は何かを否定するように目を閉じて、ゆっくりと唇を合わせた。
epilogue(smile)
私は腕時計に視線を落とした。その時計は、誕生日にレイがくれたプレゼントだった。午前中に高級ブランドショップに行って、帰りに私の働く病院に彼は来たんだっけ。てっきり具合が悪くなったものだと思っていたら、診察券の代わりに時計をプレゼントしてくれたんだったね。あの時のレイの顔は、本当に死人そのものだったなぁ。
表情といえば、そう。結局、私は彼の笑った顔を日の照る場所で一度も見たことが無かった。それがとっても心残りだけれど。
時刻は出発の五分前。
出勤ラッシュを越した駅のホームには、人はまばらだった。新幹線はホームに停車していて、今まさに乗り込もうとしていた。
「はぁ、はぁ」
聞き覚えのある声に、彼女は振り向く。
「レイ、来てくれたんだ」
レイジは息を切らしながら綺麗にラッピングされた木箱を彼女に渡した。
「ありがとう」
ジリリリ
発車のアナウンスが鳴る。
一面真青な空の下。
「またいつか会いに来るね。それじゃ、またね」
言うと同時にドアが閉まった。
列車が走り出す、その瞬間。彼女は、はっとした。
そして大粒の涙を流した。
列車はホームを離れ、窓の外には風景が流れていく。
その景色を、彼女は涙を拭きもせずに眺め続けていた。
――― だって、信じられる?
――― 笑ったの。確かにレイ、笑ったのよ?
ずっと、いつまでも眺め続けていた。
それは変わり続ける風景ではなく。
胸に深く、深く刻み込まれた太陽より眩しいレイジの笑顔だった。