投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

永久の香
【大人 恋愛小説】

永久の香の最初へ 永久の香 20 永久の香 22 永久の香の最後へ

夕立の気配-1

「この前は急に電話しちゃってごめんねぇ」
 美しい顔を申し訳なさそうに歪めて、謝られた。
「とんでもない、こっちもご一緒出来なくてごめんね。結局、花火は誰かと見に行ったの?」
「ううん、家で静かに雑誌読んでたよ」

 花火の日から1週間が経った。残暑は連日、人類を絶滅させるかの如く、強烈な紫外線を注ぎ、今日もせっせと遺伝子変異を強要させられる。
 今日もカフェ「ディーバ」に誘われて、ランチではなくお茶をしている。
 窓際の席は日差しが強すぎるので、反対側の席に座った。
 冷房から排出される冷気と共に、紅茶と中田さんの香水の匂いが香る。
 強すぎず、かと言って弱すぎず、彼女を印象付けるこの香りが、心地よい。
「で、誰と観たの?」
 興味津々といった顔で私を覗き込む。女はこれだから面倒臭い。しかしこれは序の口。ここから先が面倒の山場を迎える。
「うん、好きな人ができてね、その人と観たんだ」
 一転、とびっきりの笑顔で「そうなの?」と両手の平を合わせ、叫ばんばかりに彼女は声を張り上げた。
「友達って言ってたから、てっきりそうなんだと思ってた。彼氏だったのかぁ」
「いや、彼氏、ではないんだけどね。微妙なあの――」
「微妙な?」
「彼氏、みたいな人」
 そうとしか言えなかった。「別れたいのに別れられない彼女がいるらしい」なんて込み入った話をしたら、更に面倒臭い事になりそうだから、やめた。

「彼は、どんな人なの?」
 まだ食いつくか、と少々呆れたが、顔には出さないように笑った。
「会社の同僚。一緒に営業周りしてるんだ。中田さんの彼氏は?」
「ベタだけど、合コンで知り合ったの」
 そう言って照れくさそうに笑う。紅茶をひと口飲んだ。
 中田さんは合コンに行ったら、さぞかしおモテになるのであろう事は易々と想像がつく。
 合コンから結婚話に発展する仲になるんだな、合コンも捨てたもんじゃない。
「仕事人間だけど、優しくて、一途で、格好良くて、私には勿体無いぐらい」
「美男美女で、お似合いじゃないですかっ」
 ちょっとオバサンくさい仕草でおどけてみせた。藤の木の女将さんが言いそうな台詞だ。
 彼女はクスリと笑い、紅茶をもうひと口飲んだ。私も目の前にあるのに完全に存在を忘れていたカフェラテを啜った。
「飲み物を啜りながら飲むの、変だよ」と、元夫に言われたのを思い出した。


 カフェから外に出て、階段をおりた。夕立でも来そうな、少し灰色がかった雲が、太陽に近付いていた。
 心なしか蝉の鳴き声が小さくなっている。
「雨、降りそうだね」
「ほんとだ、傘もってない――」
 いきなり視界から中田さんが消えた。と思った次の瞬間には、私の足下に凭れ掛かっていた。
「中田さん?!」
 しゃがみ込み、彼女の腕を握って身体を支えた。項垂れた顔からは、血の気が引いている。
「ごめん、貧血、だと思う」
 そう言うと、鞄から銀色のシートを取り出した。そこから2粒を口に放り込み、嚥下した。裏には「デパス」と書かれている。
 デパス。覚えがあった。確か、安定剤だった筈。
 元夫と結婚して2度目の浮気が発覚してから、私は不眠症になった。
 日中は胸のざわつきが消えず、落ち着かず、このままでは業務に支障を来すと思い、心療内科を受診した。処方されたのがデパスと、ロヒプノールという睡眠導入剤だった。
 彼女も何か、抱えている大きな不安や悩みが、あるんだろう。
 不安で急に倒れたりするんだろうか。パニック症候群か何かだろうか。

「家まで送るから」
 遠慮する彼女を説き伏せて、1度訪れた事のある白いマンションまで送った。
 エントランスまで来ると「もう大丈夫だから」そう言って礼を言い、エレベータに乗り込んだ。
 私は「無理しないでね」と言い残し、駅へと急いだ。夕立が、すぐそこまで来ている。


永久の香の最初へ 永久の香 20 永久の香 22 永久の香の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前