契り-3
雪子は分厚い武治の胸に抱かれ、朝まで泣いていた。
「あなた、どうか無事で帰ってきて、私と娘の為に、お願い・・」
「わかった、必ず帰ってくるさ、お前と娘の為にも」
そう約束しながらも、夫がその日以来、帰って来ることはなかった。
戦争は益々激しさを増していた。
数ヶ月後、夫の戦死の紙切れが一枚届いたとき、
雪子は涙が枯れるまで泣き続け、死のうとさえ思った。
彼女は生きる希望を失い掛けていた。
雪子は夫が戦地に行くとき、その夫から聞かされたことがある。
その夫が妻の雪子に言った言葉がある。
「雪子、私はこれから戦地に赴くが、もし帰れないときには、
ここにいる学生達を手助けして欲しい、それが下宿屋の私の願いだ、
これから、この国をしょって立つ若者を助けてあげて欲しい」
「分かりました、あなた・・でも、どうかご無事で」
それから数日して、若い妻は戦地に向かう夫を
近所の人達に取り囲まれながら「万歳、万歳!」という言葉で見送った。
夫の武治は膝を揃え、目の前に手をかざし、
敬礼をして数人の男達と戦地に向かっていった。
雪子は夫のその眼が悲しげに見えた。
それから手紙は時々来ていたが、だんだんとその回数が減っていた。
妻は、夫からの便りを待っていたが、それでも諦め切れなかった。
夫の死亡通知が来たとき、彼女は生きる気力を失い掛けていたが
しかし、残された娘を思い、自ら奮い立たせていた。
それは、彼が生前残した言葉を守ること、
それを生き甲斐にしようと思ったからだ。
自分が生きていくためには、この道しかないと。
その夫が言った言葉が、雪子の人生を変えていくことになる。
雪子は夫とは見合いであり、娘が一人いて、まだ七歳である。
その娘もこの場所が危険であり、
落ち着くまで雪子の実家に疎開させていた。
雪子がこの状況下では、一人で娘を育てるのに容易では無かったからだ。
下宿屋には、若者が三名ほど下宿していて、
その内の二名は親からの呼び戻しで帰り、
今は若者一人だけである。
残された若者は学生で、親からの仕送りを貰って勉強していた。