断崖の旅人たち-4
リカルドの私室に入り、従者を下がらせると、四人の顔に笑みが広がった。
「よくやった!」
「兄さま、姉さま、会いたかった!」
愛情と親しみを込め、互いに抱きあう。
「ああ……足の震えが止りませぬ……」
泣き笑いを浮べながら全身をガチガチ震わせているソフィアを、バルバラが長椅子に座らせ、彼女も隣りに崩れこんだ。
長年に渡って染み込んでいた父への恐怖は、そう簡単に消し去る事はできない。
セシリオも大きく肩で息をし、豪胆なリカルドさえも冷や汗を拭っている。
「……ようやく断崖を飛び越えられたな」
長兄の呟きに、後の三人が深い感慨のため息をついた。
あの場で誰か一人でも裏切れば、父王の心に立つ剣を折る事はできなかっただろう。
互いを信じきるしかなかった。
『断崖を飛び越える』 それが、若くして自らの生を閉じてしまった姉へ誓った悲願だった。
王が若い頃、召使の女に手をつけて産ませた娘エルシリア。
優れた弟妹たちに比べ、特に才走ったところもなく、空想の物語にふけるのが大好きな少女だった。
穏かな性質でで争いごとを嫌い、愚鈍とさえ写る時もあった。
だが春の日差しのような彼女を、いつのまにか弟妹たちは慕うようになっていた。
他の四人と年も離れていたため、いっそう母親代わりのような存在になっていった。
ある日、何かと争いあう四人に、彼女は一つのお伽話を話して聞かせた。
『――とても貧しいけれどとても仲の良い四人の旅人がいました。
しかし彼らは、ある日悪魔にさらわれてしまいました。
悪魔は命乞いする四人を、深い断崖のふちに立たせ、こう言いました。
【四人が一緒に断崖へ飛びこめば、全員を飛び越えさせ助けてやろう。裏切って残る者がいたら、飛び込んだ三人はそのまま地獄に落とすが、その一人には世界中の富をやろう】
旅人達は顔を見合わせ、考え込んでしまいました……。』
物語は、そこで終りだった。
翌朝、エルシリアは何度目かの夫へ嫁ぎ、そのままイスパニラの帰る事はなかった。
彼女が亡くなって以来、四人は争うのを止めた。その必要がなくなったからだ。
最愛の姉を奪った父へ、愛など求める気は消えうせた。
父王に余計な疑惑をかけられぬよう、表面上は互いにけん制しあっているような態度をとり、密かに助け合いながら機会を待っていた。
長い長い、静かで忍耐のいる戦いだった。
そして、ソフィアがシシリーナ国を手に入れた事で、ついに旅人達は互いの手を取り、断崖を飛び込えたのだ。
しかし、彼らの前にまだ難題は山積みになっている。
先日、ギスレ公爵の領地で反乱を抑えてきたリカルドは、植民地で駐屯兵の実体を目の当たりにして、衝撃を受けていた。
住民達は、兵たちの気紛れで妻を犯され子を殺され、逆らえば裁判もなしに投獄される。その圧制に耐えかねての反乱だった。
このまま放っておけば、今後多くの植民地で同様の事件が起こるだろう。
「その辺りの難問は、さしあたって対処する事にいたしましょう」
セシリオがため息をついて肩をすくめた。
「今日くらいは我らも、ささやかな祝杯をあげて良いと思いますからね」
ソフィアが嫁いだシシリーナの前王は、暴虐で非道な男として有名だった。
何かあったらすぐ駆けつけると妹に約束したものの、兄姉たちはハラハラしていたのだ。
「そういえば、貴女の元夫は、吸血姫とかいう少女を愛人に囲っていたらしいじゃない。あの子はどうなったの?」
バルバラが小首をかしげた。
シシリーナ前王が、護衛兼愛人として美しい少女の化物を囲っていた話は、イスパニラ国でも有名だ。 しかしソフィアが女王になって以降、彼女はシシリーナ国から姿を消してしまった。
密かに処刑されたとか、逃れて今もどこかで旅人の血を吸い続けているとか、さまざまな噂だけが飛び交っている。
「心配無用。彼女は“再就職”先で、立派に勤めを果たしております」
ソフィアが柔らかく微笑んだ。
「兄上たちも、荷運びのプロが必要でしたら、とびきりの隊商を紹介いたしますぞ。腕利きの護衛もついており、有能な仕事ぶりはわらわが保証いたします」