断崖の旅人たち-2
そして数時間後。
イスパニラの王城へ通じる道は、熱狂的な歓喜に包まれていた。
なにしろ、病に臥せっていると報じられていたソフィア姫が、突如として姿を現したのだ。
その歓声を窓の外に聞きながら、イスパニラ王は玉座で末娘を迎えていた。
無骨さが目立つイスパニラ王城でも、玉座の間だけはきらびやかな豪華さを備えている。
高い天井からは巨大なシャンデリアが吊るされ、無数の水晶がきらめいている。
壁にはイスパニラの歴史を描いたレリーフが彫られ、深紅の巨大な国旗が玉座の背後に吊るされていた。
正面の戸口から玉座まで続くカーペットも深紅で、入室したソフィアはその上を歩き、玉座の三歩手前で膝をつく。
カーペットの左右には、すでに彼女の兄姉が立っていた。リカルドは甲冑姿で、セシリオとバルバラも正装をしている。
扉の外に兵はいるものの、玉座の間には親子だけだった。
もちろんそれは、親子の再会に水を指させないためなどでなく、もうこの世にいない不肖の弟がしでかした陰謀を公にしないためだ。
「まさかギスレが……大した事も出来ぬ男だと思っていたが、やはり最後まで無能だったな」
白くなりつつあるあごひげを撫でながら、王は舌打ちした。
「まぁとにかく、おぬしが無事でなによりだ。ソフィア、よくぞシシリーナを手に入れた」
一転して、機嫌よく王はソフィアに話しかけた。
「これで、名実共にイスパニラは大陸の覇者だ。すぐにでもシシリーナで兵をあげる準備をせよ。西と南からフロッケンベルクを討つ!」
「お断りいたします」
流麗な声を、王は一瞬そらみみかと思った。
「……ソフィア。そなたは今、なんと申したか?」
「お断りいたします、と申し上げました」
すくりと立ち上がり、鉄の姫は真っ向から父王を見据える。
「私は本日、シシリーナ国の女王としてこの場に参りました。すなわち、我が国の兵権をイスパニラに渡せという要求を、お断りする為です」
「つけあがるな!!!」
王の怒鳴り声がとどろき、天井に反響した。
目がくらむほどの憤怒をむき出しにした父王の前で、ソフィアは顔色一つ変えずに続ける。
「加えて、我がシシリーナ国は、フロッケンベルクと不可侵同盟を結びました。イスパニラがかの北国に攻め込むというならば、シシリーナは同盟国の援護をいたします」
「娘の分際で……父に歯向かう気か?」
イスパニラ王の呻きに、それまで鉄化面のごとく無表情だったソフィアの顔に、初めて表情が表れた。
冷ややかさと軽蔑の色を込めた、皮肉そのものの笑みが、形の良い唇に乗る。
「さて?私は、貴殿を父と呼んだ事は、一度たりともございません」
それはささやかな事実だった。
イスパニラ王の子ども達は皆、生まれてから父王を『陛下』以外の呼称で呼ぶ事は許されなかったのだから。
「ぐ……そのような事を根に持っていたとはな。四人の子の中で、お前に一番目をかけてやっていたと言うのに、見損なったぞ!」
王の太い腕が玉座の肘掛を殴りつける。
「リカルド!!この反逆者を捕らえて投獄せよ!!」
しかし、いつも従順な長男は、動こうとしなかった。
それどころか、ソフィア同様の冷ややかな侮蔑の視線が、その眼光に備わっている。
「リカルド!!」
もう一度王は叫んだが、その目は変わらなかった。
更に、セシリオとバルバラまで、同様の表情となっていた。
「陛下のお言葉とは思えませぬな。会談に出向いた他国の女王を一方的に投獄などいたしましたら、イスパニラの栄誉は地に落ちます。十本指の一番将軍として、かような真似は到底できませぬ」
真面目くさった顔で、長男が妹の脇に立つ。
「うぐ……セシリオ!!」
「陛下。そのような世迷言が公になりましたら、我が軍の中でも王に反発する者が多数現れる事でしょう。無論、私もその一人に加わるかと」
次男も妹の逆側に立つ。
動揺にきょときょと目を泳がせる王の前で、最後のバルバラも兄達に続いた。
「北部を守備する私の夫も、同様の意見と存じます。シシリーナとは、末永い友好を保ちたいものですわ。陛・下・」
「お前たち……血肉を分けてやった恩を忘れたか……」
どんな戦場にあっても、恐れを知らなかった王の声が、上擦り震えていた。
この四人は互いに功を競い合い、父である自分の機嫌をとる事だけを考えていたはずだ。結託するなどありえなかった!
動揺する王へ、再びソフィアが口を開いた。