暗灰色の狂狼-2
「あんなに発作を止めようとしていたお前自身が、ついに起こしたか」
狼語で話しかけたが、ルーディは答えない。
発作を起した他の狼と同様に、ただ泡を吹きながら狂気に満ちた唸り声をあげ、じりじり後ずさりはじめた部下の狼に飛び掛って息を止めた。
飛び掛ってきたルーディを、ヴァリオは前足の強烈な一撃で殴り飛ばす。
すでにホールで生きている狼は、ルーディとヴァリオだけだ。
血に飢えた暗灰色の狼は、すぐに跳ね起きて身構える。
床に倒れ、着々と赤い花の面積を広げている“つがい”のことなど忘れ去ってしまったようだった。
しかし、人狼たちはホール以外にもいた。
屋敷の各所で、十人ほどが見張りをしていたが、異変に気づいた彼らは、扉を開いて押し寄せようとした。
族長の戦いに、周囲が鼻先を突っ込むのは許されないが、『発作』を起している相手の時だけは別だ。しかも相手は憎い裏切り者。
フロッケンベルクに自分達が負けたのは、ルーディが奴等に自分達の情報を流したせいだと、彼らは信じて疑わなかった。
「持ち場に戻れ!!」
だが、ヴァリオはたけだけしく吼えて部下達を威嚇した。
「邪魔だてする者は、裏切り者より先に命で償う事になるぞ!!」
そう言われ、すごすごと部下達は引き下がる。どのみち、自分達の出る幕でない事は、すぐに解った。
人狼の族長兄弟の争いは、それほど壮絶だった。
本来なら、この戦いは人狼たちの失われた故郷で、部族全員の前に行われるはずだった。
ルーディとヴァリオ、どちらが勝っても人狼たちは称えただろう。そして敗者もまた納得いく死を迎え、前族長の遺体とともに、厳粛に葬られるはずだった。
しかし、数々の狂いが、そうさせなかった。
遠く離れた異国の廃屋で、互いに噛み付き合い、転げまわって壁や床に身体を叩きつけ、毛皮に血をこびりつかせて死闘を繰り広げる。
(何故、おまえのつがいは裏切らなかった!!)
襲い掛かる弟を投げ飛ばしながら、暗くねじけてしまったヴァリオの心は、理不尽な怒りに満ちていた。
人間を信じるなど……ましてや“つがい”に選ぶなど、馬鹿馬鹿しいと……
俺と同じように裏切られ、思い知ればいいと思っていた!!
突然行方不明になったルーディを探すため、フロッケンベルクの村や町を人間の姿で歩き回ったのは、随分昔の事だ。
いずれは殺しあわねばならないとしても、可愛い弟だ。もし何かあって人間の手に囚われでもしているなら、助け出さなければ……。
そんな折、寒村の端で一人暮らす娘に出会った。
人間に惹かれるなど有り得ないと思っていたが、彼女から漂う香りに、どうしようもなく惹かれた。
人間の姿のまま、何度も娘と合ううち、“つがい”にしたい欲求は耐え難くつのった。
『貴方がどこの誰だとしても、愛してる』
いつも何処からともなく現れるヴァリオに、彼女はそう言った。
その言葉を信じ、彼女の前で狼に姿を変えた。
絶叫して彼女は逃げ出し、そのまま足を滑らせて谷底に転落し、物言わぬ躯に成り果てた。
人間などやはり信用なら無いと思い知った。
何かが心の中で壊れてしまった。
そして荒れ狂っている時、雪の中から顔を出しているあの薬草を見つけた。
匂いを嗅ぐと、とても冷静になれた。
食べるとひどく気分が高揚したが、あの泣きたくなるような悲しみは無くなった。
悲しむ必要なんか無い。それだけの価値など、人間は持っていない。あいつらは踏みにじられ奪われるだけの餌だ!!
『人間と協力しよう』
ルーディの主張は、ヴァリオの考えを否定する。ヤツのつがいがやった事も!
ドス黒い怒りが、湧き上がっていく。
あの草は確かに、発作の確立をあげる。だが、ヴァリオは何度口にしても、発作を起すことはなかった。
いつも人間へ幻滅する事で、冷酷さが火のような怒りの興奮を上回っていた。
しかしついに、限界までつのった怒りが水量を増し、冷静さを上回ったのを感じた。
堤防が、切れる。
館中を震わせる咆哮をあげ、黒と暗灰色の狼が激突した。
互いの喉に深く牙をつきたて、二頭は同時に倒れる。
そして……