庭の獣-2
「はい。君のお守り」
次の日、ルーディから胡椒入りの小瓶を渡されて、面食らった。
まさか本当にくれるなんて……驚きながら、やっと礼を言った。小瓶は大切にポケットにしまう。
こんな都会に狼が出るわけないけれど……それ以上に大事なお守りになった。
それからルーディは、約束したとおりにラヴィの靴も買ってくれた。
中和剤はまだでも、媚薬だけは出来たと客に報告したら、報酬の半額を早めにくれたそうだ。
子牛革の靴には、濃い紫のリボンが飾られていて、足にぴったり合った。
靴屋の店主が、リボンの残りをおまけにくれたので、それで髪を結んでみた。
傷のある右半面は、あいかわらず前髪で隠してあるが、傷の無い側を横に避けて結ぶと、視界がとても明るくなった。
「すごく似合うよ」
眼を細めて、ルーディが褒めてくれる。
小声で礼を言い、そっと足元の靴を眺めた。これもそう安くはなかった。
せっかく稼いだ報酬を、ルーディはどうしてラヴィのためになんか使ってしまうのだろう?
……きっと、彼がとても優しいからだ。
そう自分を納得させた。
「ルーディ。いつまでも一人身かと思ってたら、可愛い嫁さんを見つけたじゃないか」
ルーディと馴染みらしい靴屋の主人が、にやにやと彼の肩を叩く。
「違うよ。ちょっとの間、家にいてもらってるだけだ」
ルーディが苦笑し、ラヴィも黙って頷く。
わかっていたはずなのに……ズキリと心臓の奥が痛んだ。
フリーの錬金術師の仕事がどういうものか詳しく知らないが、ルーディは机の前にいるよりも、外出している事が多い。
ふらっと出かけては、いつの間にか帰ってくる。夜中に出かけている事もあるようだ。
それと、夜中には決して研究室に入らないでくれと言われた。
わざわざ念をおされなくと、そんなつもりはない。
夢物語のヒロインなら、そういったバカな行動から王子様との結婚に発展するだろうが、現実はろくな結果にならないだけだ。
だからラヴィは、とりたててルーディの仕事に質問したりしなかったし、夜中に部屋を覗くような真似もしなかった。
代わりに居候の身として、家中の掃除や洗濯にはげみ、熱心に食事を作った。
一緒に生活し始めてすぐ、ルーディは今までよく生きていたものだと、呆れたからだ。
忙しいのもわかるが、食事にも睡眠にも無頓着で、聞いてみれば、空腹で倒れたのもあれが初めてではなかったらしい。
本来、ラヴィは「お嬢様」の部類に入る育ちで、育った家にはメイドもコックもいた。
しかし、『人を使う立場の人間は、使う相手の苦労もきちんと知っているべきです。』というのが、親代わりだった老婦人の意見で、幸いにも一通りの家事は仕込まれていた。
人生は何があるかわからないと、しみじみ思いながら、今日の夕食は得意のふわふわオムレツを作る。
「うわ!俺の大好物だ!」
皿にふんわり鎮座した黄色い山に、ルーディが子どものように目を輝かせた。
実際のところ、『大好物』がルーディには多い。というより、好き嫌いがあまりないようだ。
香辛料がキツイものは少々苦手なようだが、それ以外はなんでも美味しそうに食べる。
北国風の焼き菓子を作った時も、フロッケンベルクで食べたのよりもずっと美味しいと褒められ、顔が赤くなった。
食卓に向かい合わせに腰かけ、談笑しながら食事をとっていると、金で買われた身だというのを、時折忘れそうになる。
ルーディはとても親切で、優しい。
市場へ食材の買出しに一緒にいった時も、小柄なラヴィが人ごみに押しつぶされないよう、さりげなく庇ってくれるなど、買われた奴隷と、買った主人の関係なのに、まるで恋人みたいに接してくれる。
それに、あの夜以来、一度も「そういう事」をルーディは強要したりしなかった。
必要以上にラヴィに触れる事も無い。
それでもほんの時折、指先がかすめたりするたびに、心臓が跳ね上がりそうになるのを、ラヴィは必死で隠す。
その鼓動は、一日一日と誤魔化すのが難しくなっていく。