29 富溢れる-2
「今日太一君、何時まで遊べる?」
携帯を持つ手が小刻みに震えている。
「え、夕方ぐらいに友達の家に戻ろうかと思ってるんだけど、何で?」
「友達からメールが来てさ、あの、この後ぶらっとドライブしたら、その人の家に行こうかと思ってるんだけど」
太一君、ごめん、と心の中で思いながら。
「友達の家ってどの辺?」
「高円寺の駅の近く」
「俺の友達、荻窪だから、ドライブがてら送っていくよ」
丁度、大きな海老が乗った天丼が運ばれてきた。
「ありがとう、助かるよ」
サトルさんがメールを寄越すのは大抵、仕事をしていない暇な時だ。今日はきっと暇なのだろう。一応メールで、この後行ってもいいかと尋ねたら、是非という返信が来た。
大きな海老と格闘しながら、太一君に訊いた。
「太一君は、彼女は?」
海老が重たすぎて箸でなかなか掴めない。テレビは築地市場から東京タワーへと舞台を移した。
「最近、学生時代の同級生と付き合いだしたんだけど、すぐに北海道に行っちゃったんだよね。転勤で」
「じゃぁ遠距離恋愛だね」
「そうだね。だから結婚して、好きな人と毎日一緒にいられる生活って羨ましいよ」
そう、だね――続く言葉がなかなか出てこなかった。皆同じ事を言うね。だけど結婚生活が必ずしも幸せであるとは限らないのだよ、ひまわり君。
「一般的には――そうなのかな」
「何、『一般的には』って?」
海老は、食べても食べても尻尾に辿り着かない。
「私達は普通の夫婦とは違うんだと思う。こうやって私が誰と遊ぼうが、旦那は一切興味を示さないし、私は干渉されたくないし、家にいてもお互い違う方向を向いてるし、平日は殆ど顔を合わせないし。結婚した意味が、最近はちょっと、分からなくなってきてるのだよ」
丼の半分を平らげた太一君は、同情たっぷりの眼差しを向けて言った。
「それは悲しいねぇ。熟年夫婦になれば、そうなるのかもしれないけど、まだ新婚なのに。まだバカップルっぷりを遺憾なく発揮してもいい時期だよ」
目を伏せて少し笑った。
「バカップルか。もともと私、糖度が低いんだよ。男と付き合う時の糖度が凄く低いから、どんなに好きな人とでも、甘い言葉を掛け合ったりする事って、殆ど無かったな、今まで。はぐらかしちゃったりして。バカップルってのは、とても羨ましい」
「なら今から糖分とってさ、今晩は旦那さんに甘い言葉を掛けてみなよっ。すみませーん、食後にあんみつ2つ追加で」
いそいそと動き回る店員さんに声を掛ける。本当に糖分補給をさせるつもりらしい。「俺のおごりだから」と、ひまわりの様な笑顔でそう言った。うーん、その笑顔、堪らんっ。