不幸せをありがとう-5
三章
青年は医師が出て行ったあとに、その場に倒れこんだ。自分の体の限界を、彼は知っていた。だからさっきのは、最後のチカラ。
ガラガラ
運ばれる。沢山の看護婦たちに囲まれて、集中治療室へと運ばれる。意識は朦朧としている。世界はゆらゆらと揺れて。それは決して気持ちの良いものではない。死期を悟っていた。けれどそれを怖れているのも確か。
僕に奇跡は起きない。
いや、そもそも奇跡など存在しない。
そう見えたものは全て、僕の生み出したもの。無情にも神はなく、ここは等価交換の世界。小さな奇跡を与えるとしたら、その代償は限りなく大きい。だからこうして僕は死んでいく。
それは与え続けた人生だった。
希望をなくしたものにそれを与え、嘆き悲しんだものに救いをもたらした。
――― けれど見てみろ。その果てに、お前は何を得たのか?
僕の中で問い掛ける声。反論することはできない。
――― 命を削り、生み出した奇跡はお前に何を与えたのか?
何もない。救いを与え続けてきた僕は、何の救いもなく朽ち果てる。
――― なんて愚か
だから何度も考えたはずだ。人の望みは、自身を壊すだけ。利益など何も無い、と。
――― そうだ 人の不幸を背負うだけだ
けれど
――― けれど?
どうして僕は、幸せを与え続けたのか?
――― それは
それは、望んだから。
――― やめろ
それは、僕が望んだから。
『幸せをありがとう』
ほら、聞こえる。どこかで、だれかの響き。
『幸せをありがとう』
聞くだけで満たされる。それならば、僕がしてきたことは無駄じゃない。
『幸せをありがとう』
人々の笑顔が見たくて、喜びの声が聞きたくて、僕は生きてきた。
それは与え続けた人生だ。
けれどほら、最後に見返りはあるんだ。
たくさんの感謝に包まれて、僕は逝くことができる。
それは、なんて幸せ。
もう、内からの声は聞こえない。
だから僕は、囁いた。
「不幸せをありがとう。」
それは皮肉ではなく、心からの感謝だった。