101万ドルの夜景-2
手にしている煙草が、僕に熱を伝える頃、いつからいたのか横にいる小さな人影に気付いた。小学生低学年くらいの、上にジャージ、下は半ズボンという見ているだけで寒くなるような格好の男の子が、僕と同じ夜景を見ていた。一年以上、この夜景を見てきたが、他の人と一緒になったのは初めてだ。それもこんな子供と。僕はいつもは手を出さない、二本目の煙草に火をつけた。
「ねぇ」
急にその子供が言った。
「どうして」
あかの他人に、その子はこう言った。
「どうして、こんなところにいるの?」
僕は何も考えずに答えた。
「君と同じだよ。この景色を見にきたんだ。」
彼の方に向いたが、彼はずっとその景色から視線を外さなかった。とても澄んだ目で、命の灯火を見ていた。僕も昔は、こんな目をしていたのだろうか?僕は彼の目に映る命の灯火を見ていた。
「違うよ。」
「えっ?」
彼の言葉の意味が分からず、聞いた。
「何が違うの?」
「僕は、僕を見にきたんだ。」
彼の返答を聞いても、その真意をはかりかねた。煙草の煙が、ゆらゆらと空を目指している。それは、とても不確かだ。
「それに、」
彼は続けた。
「質問の意味も違うよ。」
僕は空を見上げた。無数の星が、僕たちを見ていた。
そして恐らく、彼は「どうして、こんなところに立ち止まっているの?」と聞いていたのだろうと僕は、一際輝いている星の横で申し訳無さそうに光を発している星を見上げながら、考えたりした。
「ちょっとね、考えているんだよ。本当にこの道でいいのか・・・てね。」
「ふぅん、そうか、・・・大変なんだね。」
僕の答えに、彼はそうかえした。そこに含まれた意味を、彼は知っているはずもないのに。
「でも」
彼は言って初めて僕のほうを向いた。彼の目は、どこまでも澄んでいた。
「でも、もう行ったほうがいいよ。」
彼の目に僕はどう映っているのだろうか?今度は僕が彼から目を背けた。彼の目に映る男を見たくなかった。
街の光は、少しずつその存在をなくしていく。あと一時間もすれば自然の明かりのほうが強くなるだろう。
二本目の吸殻を缶に押し込めて、アパートに歩を向ける。
「どうして前に進まなくちゃいけないのかな。」
帰り際に彼に質問した。こんな子供には難しい質問だな、とやわらかに自嘲した。
その問に彼は、
「だって、前に進まないと次の景色が見えないじゃないか。」
と、僕に背を向けながら、はっきりと答えた。その子が誰で何処からきたのか。僕は本当は知っているんじゃないだろうか。ただそんな表面的な問題を深く考えたりする必要は無い、と思った。ただ不思議な夜だった。
翌日も僕の暮らしは変わらない。大学の代わりにバイトに行き、講義を受ける代わりに金を稼ぐ。自分でも分かっている、これはどこまでも馬鹿げた行為だ。大学を卒業すればいくらでも働けるのに。それも、もっと良い環境で。ただ僕は体を動かす事で、考えることを拒否したかった。極端なマイナス思考型人間ゆえに、考えれば考えるほど、僕は堕ちていく。
・・・・どこまでも、果てしなく。
時刻は午後十一時近く。
どのテレビ番組も僕の嗜好に合うものは放送していなかった。いつも見ている音楽番組もゲストが演歌歌手だったので見る気が起きなかった。あんなもの歳をくったって聞かないよ、八十過ぎたって僕ならロックを聞く。そう考えながら、机の上の硬貨を手に、いつもの場所に向かった。鍵を閉めた僕の部屋から、電話が鳴った。何も無かったかのように僕は自販機に向かう。あの場所に向かう僕を、何も縛れない。外は生ぬるい風が行き来していた。明日も晴天に違いない、無限の星を見上げてそう思った。
もう十月も半ばだというのに、この暖かさはどうだろう。僕はいつも通り、「コールド」のコーヒーを買うため、三枚の硬貨を機械に渡した。
「どうぞ」と言う代わりにゴトン、という味気ない音がする。
「どうも」と抑揚の無い声を掛けて、それを受け取り、僕は薄暗い坂を登っていった。