したたかな森の老婆-1
どごっ!!
「ぐっ!!??」
喉元を強烈に突かれ、テリーは跳ね起きた。
魔族の彼に痛みは感じないが、それよりもここ数百年味わったことの無かった驚きの方が強烈だった。
「おや、生きてたのかい」
頑固そうな口元の老婆が一人、テリーの前で仁王立ちしていた。
どうやら先ほど喉を突いたのは、老婆のもつ杖だったらしい。
「誰だか知らないが、人の留守中に勝手に上がりこんで、高いびきで寝てるとは、呆れた図々しさだね」
フンと老婆は鼻を鳴らした。
いつのまにか部屋には朝日が差し込み、暗闇で見たより、室内が酷くなかった事を証明している。
花瓶には花が飾られ、釜戸にかけた鍋では、何かぐつぐつと煮えていた。
「……」
テリーがポカンと呆けたように身動きできなかったのは、驚きすぎたせいだった。
老婆の物怖じしない行動に驚いたのは勿論のだが、嗅覚がまったくイカレてしまっているらしい事にもショックだった。
どんな名犬よりも鋭いはずの嗅覚は、目の前の人間の匂いも、花も料理の匂いも拒否して、あいかわらず埃とカビの匂いしか伝えない。
「…は、俺を見ても逃げないなんて、イカレた婆さんじゃん」
それでも同様を押さえ、テリーは金色の眼で老婆を睨んだ。
ざわざわと髪が逆立ち、人間のそのものだった手は、徐々に獣のそれへと変化しはじめる。
どんな勇敢な戦士でも逃げ出したくなる妖気が、九尾の狐から放たれ始めた…
「悪いけどね、凄んだって無駄だよ。どいとくれっ」
老婆の振り下ろしたステッキが、テリーの脳天を直撃した。
「ーーー!!??」
そして、手さぐりでベットの上をなでまわし、テリーの尻尾をむんずと掴んだ。
「おや、良いモップだね。あんたのかい?」
「んなっ!!!もも、モップぅぅ!!??離せっ!!!!」
ご自慢の尻尾を引ったくり、急いで身体へ巻きつけた。
ショックのあまり、すっかり元のキツネ耳と尻尾をつけた青年の姿へ戻ってしまう。
(こいつ!!)
怒りと屈辱感と驚きでパニック状態の頭で、テリーはやっと悟った。
「…盲目か」
「そうさね。ついでに言うと、もうこの世に未練もなくてね。今更命なんざ惜しくないよ」
ベットカバーのしわを伸ばしながら、老婆は無愛想に答えた。
「……」
眼が見えないのだから、テリーの瞳を見て魔族だとおびえるわけもない。
先ほどの妖気に逃げ出さなかったのは、肝が据わっているのか、はたまた言葉どおり生に執着するのをやめたのか…
老婆を殺すのはテリーにとってわけない事だ。しかし…
自分にこれだけの屈辱を与えた人間を、あっさり殺してなるものか。
できればこれ以上ない恐怖に怯えさせたい所だが…
「クソっ…」
悪態をついて木の椅子へ座り込んだ。
手っ取り早いのは、老婆の目を治して自分を見せる事だろうが、生憎とテリーは癒しの魔法がまったく使えない。
魔族は能力が衰える事も無いかわりに、成長もしない。
できない事は100万回やっても出来ないのだ。
それでも、今までは何も不自由しなかった。
自分の身体なら勝手に再生するし、他のどんな存在も、治癒したいなどと思わなかったから…