それぞれの終末-1
果たして間に合うだろうか。
健史は時計に視線を向けた。目の前には、やりかけのパズル。他人から見れば、それは意味の無いことに思えるだろう。
――― 終末は近い。
僕たちに残された時間は僅か。だから、仲直りをしよう。数時間前から修復し始めたパズルは形を成し始め、絵柄がわかるほど完成に近づいている。大海を泳ぐイルカのパズル。
初めて店頭でそれを見たとき、兄貴はイルカのダイナミックな動きを表現したそれに魅了されたという。その、圧倒的なまでの自由さ。けれど今の僕らは、それとは逆で。
去年の秋だった。些細なことで兄貴と口論になった。頭にきた僕は、兄貴のお気に入りだったこのパズルを放り投げた。バラバラに散らばるピース。それは何かに似ていて。
僕とは目を合わせずに、兄貴は家を飛び出した。その日、交通事故にあった兄貴は死んだ。
僕らの最後の会話は、互いを罵倒したものではなかったか?
――― あの日からバラバラのままのパズル。
――― あの日からバラバラのままの兄弟。
だから今、仲直りをしよう。
健史は、もう一度時計を見た。時間は、あと一時間しか残されていなかった。
カランカラン
「いらっしゃいませ。」
そう言うマスターの顔は、少し強張っていた。多分、私もそうに違いない。注文したブレンドは、既に空。こんな日まで遅刻するとは、緊張感に欠ける奴だ。
「いよう。」
入ってきた男が私に声を掛ける。いつも通りのその仕草が今は堪らなくうれしい。
「何でこんな日を男二人で過ごさねばならんのか。」
やれやれ、と入ってきた男、宮村が悪態をつく。
「誘ったのはお前のほうだろうが。」
「そうだったな、すまん。何せやる事も無くてね。お前も一緒だろう?」
「まぁ、その通りだが。もう思いつくことは全てしたし。」
「思い残すことは無い、か。」
言われて私は考える。そう、やれることはした。今まで自分なりに精一杯生きてきた。
けれど、やり残したことは無いと言えるのだろうか。誰にでも、胸をはって私は満足だ、と言えるのだろうか。
「どうだろうな。やりたかった事は数え切れないくらいあるだろうさ。生きてるうちに一度は、てやつがさ。でも、そんな事よりも私はお前を優先した。それだけかもな。」
私がそう言うと、宮村は穏やかな笑みで、それを受け止めた。
「随分と素直な発言だな。まぁ、そう言う俺も、最後はお前といたいと思っていた。青春時代を一緒に無駄にした、悪友とな。」
マスターが注文を受けにくる。彼に向かって、宮村が言った。
「俺、アメリカンね。そういやマスター、何で店開けてるの?この商店街で開いているのって、この喫茶店くらいだよ。」
その問いに、彼はすぐに答えた。
「他にやることがございませんので。わたくしは己の日常を守るだけでございます。」
それも一つの在り方だろう。非日常はすぐそこまで迫っているけれど、私たちではもうどうすることもできないのなら、マスターの潔さは美しい。
「強い、な。」
宮村は誰に向けるでもなく、小さく呟いた。そして上着から煙草を取り出して火をつけた。
「あれ?止めたんじゃなかったのか、煙草。」
「いや、それももう意味無いだろ。自分を縛る必要もないさ。」
店内にはコーヒー豆の香りと、どこかで聞いたクラシック。それは悲しいくらい落ち着いた空間。それに耐えられなかったのか、マスターは長年使われていないであろう店内のテレビをつけた。けれどどのチャンネルも、もはや放送されてはいなかった。いや、一つだけ、地方のローカル局だけが運命へのカウントダウンを続けていた。
「みなさんは、今どうお過ごしですか?
――― あと四十五分で地球は滅亡します。」
そのキャスターの言葉を聞いて、宮村は目を閉じた。
誰もが不安に襲われている。それは覚悟していたこと。けれど耐えられない。だから私たちは、一人ではいられない。
――― 終末は近い。