私の死神様。-3
「ねえちゃん今日も出かけるのか?」
弟の淳司(あつし)が京子に言う。淳司はこのところ様子が変わった京子を不思議に思いながらも、そんな姉の変化に淳司自身も喜んでいた。
「うん、天気がいいからちょっとお散歩してくる。」
玄関のドアを開けると、冬の身を切るような寒さの中、弱々しくも暖かい日差しが彼女を包んだ。もちろんその後ろにはアニスの姿があった。午後のさわやかな空気を感じると、京子は機嫌よさそうに表へ飛び出した。
「アニスさん、もう話しても大丈夫よ。」
通りに人気が無いのを見計らって京子がそっとつぶやいた。その横でフワフワと宙に浮いているアニスがニコッとうなずく。
近所の公園まで来ると、京子はベンチに腰を下ろした。
「ほんとにいい天気ね。」
京子はうれしそうにつぶやいた。
「京子殿、このところ気分がよさそうじゃの。」
「フフ、アニスさんのおかげよ。」
「いや、わしはなにも・・・」
アニスは照れながらポリポリと頭をかいて、視線を京子からそらした。
「もうアニスさんがこっちに来てひと月か・・・はやいなあ。」
京子はフッと空を見上げた。
「京子殿、今の京子殿からは以前の弱りきった心は微塵も感じられぬ。まったく、なぜわしを呼び出したのか不思議なくらいじゃ。」
アニスのその言葉を聞くと、空を見上げていた京子の表情がわずかに曇った。やがてうつむくと、そっと話し始めた。
「あたしね、高校のときまでけっこう太ってたんだ。それでね、友達に笑われるのがいやでがんばってダイエットしたの。そしたら友達も含めて周りの人たちが優しくなった気がした。なんかみんながあたしのことをまるで尊敬してるみたいだった。それであたし、調子に乗っちゃってね、ある日教室で友達と話してたらね、『京子って今好きな人いる?』って聞かれて、それでつい大きな声で言っちゃったの、その人の名前を。『あたしの好きな人は○○君でーす』ってね。教室の中にはみんないて、もちろん本人もそれを聞いてたわ。だって聞こえるようにいったんだもん。あたしね、フラれると思ってなかったの。だからみんなの前で思い切って言っちゃったの。・・・目立ちたかったのかな、あたし。・・・・・だけどその人、その日からあたしのこと、避けるようになっちゃってね、結局フラれちゃったみたい。それから、友達もあたしに冷たくなったような気がして、なんか世界中があたしをいじめてるみたいな気がしてきて成績もドンドン落ちてきて・・・高校はなんとか卒業したんだけど、それから人と話すのがいやになって・・・気がついたら家の中に閉じこもってた。」
最後のほうは泣き声でよく聞き取れなかった。彼には理解できない単語もたくさんあったがアニスは京子の話を真剣に聞き入っていた。京子の悲しい過去、そしてそれをいまだ乗り越えられず、今なお京子を苦しめ続けている、そんな記憶から語られる京子の想いがアニスに切々と伝わってゆく。
「・・・すまぬの、つまらぬことを聞いてしまって。しかしな、京子殿、一度でも死を真剣に想ったことのある人間でなければ、生きることに意味を見出すことはできぬ。意味もわからず、ただ闇雲に生きるだけの人生など、愚かなことじゃ。つらかったじゃろう、しかしそなたはよい経験をした。」
打ちひしがれる京子に気を使って言葉を選んだわけではない、それはアニスの正直な気持ちだった。そしてそれは京子にとって大きな救いとなり彼女を優しく包んだ。
京子の気持ちがみるみる明るくなってゆく。心が以前にも増して強くなってゆくのを、アニスは感じ取った。
「アニスさんて面白い人ね。死神なんだからもっと酷いこと言ってあたしの魂奪っちゃえばいいのに。」
泣き止み、おどける彼女の瞳には、満面の笑みがこぼれていた。
「おお、その手があったか。思いもつかなかったわい。」
そう言って微笑むアニスの姿は、京子に彼が死神であるということをまったく忘れさせてしまうのだった。
「さてと、そろそろ帰ろっか?」
ふと時計を見て京子が言った。時間はもう3時を回っており、人影もまばらに現れ始めた。
そんな彼女達の一部始終を見ていたある男の姿があった。男の名は太木数男(ふときかずお)、この町のとある教会でプロテスタントの牧師をしている者であった。彼は熱心な神教徒で、若いころ研修のために渡米したとき、そこで出会ったアメリカ人の女性が彼の熱心さに魅かれ、そして二人は結婚した。二人はアメリカで暮らすことも考えたが、日本の宗教の現状を知りながらも日本で牧師をやりたがる太木の情熱にうたれ、そのアメリカ人女性も太木とともに日本にやってきた。そんな二人はこの近所では人気者であり、特に太木の情熱的な演説は有名で、毎年幾度か講演会が開かれていた。