ヘルマン・エーベルハルトについての記述-1
「1」 ヘルマン・エーベルハルトついての記述。
――全ての始まりは、今から十八年と少し前。
シシリーナ国の大臣カダムが、北国から錬金術師を雇ったのは、あまり大きな声で言えない理由だった。
世間一般にカダムの評判というのはこうだ。
『外交手腕は確かで、慈善事業にも熱心な、男ぶりのいい有能な大臣さま。』
だが、その裏にカダムは、野心と残忍さと狡猾さを、とても上手く隠していた。
王に忠実に仕えつつ、彼はずっと王位乗っ取りの野心を抱いていた。
大陸全土で、大小の国々が領地争いを繰り広げる乱世だ。国同士のみならず、国内での下克上の例も数え切れない。
しかし、よくある話とはいえ、実行するのは難しく、成功させるのは更に難しい。
国王がまるきり無能ならともかく、シシリーナ国王は、統治者として水準以上の力量を持ち、庶民に人気が高い、善良な君主だった。
ただ、彼の政策は公平すぎて、それまで不正な利益を貪っていた特権階級には、面白くないと思う者も多かった。
カダムはそこに眼をつけ、たくみに味方を増やしていった。
だが、まだ足りない。
そこで、北のフロッケンベルク国と、秘密の会談を何度も繰り返した。
フロッケンベルクは、大半を狼がうろつく針葉樹林が占め、一年の半分は雪に閉ざされる極寒の小国だ。とりえと言えば、わずかな鉱山くらい。
だが、それは領土だけの話で、古くから錬金術が発達していた国だった。
錬金術師たちは、魔法と科学の力を組み合わせて、奇跡のような薬や機械を創り出す。
鉄くずを黄金に変える事こそ出来ないにしても、その数々の作品は、使いようによっては、黄金以上の価値をもつ。
大金を払ってでも、錬金術師を雇いたいと言う声は山ほどあった。
何度かの交渉の末、フロッケンベルク国は、カダムが王位に付けるよう手助けする、一番優秀な錬金術師をよこす事を約束した。
「――錬金術師ヘルマン・エーベルハルトと申します。以後、お見知りおきを。」
カダムの邸宅を訪れた青年は、紹介状を差し出し、そう名乗った。
人の粗探しが得意なカダムでさえも、文句のつけようがない、完璧に礼儀正しく品性のある仕草で一礼する。
二十代半ばとおぼしきヘルマンは、すっきりと鼻梁のとおった顔立ちの、非常に美しい青年だった。濃いグレーの髪をしており、青白い肌はやや生気に欠けるが、貧相には見えない。
簡単に自己紹介を終えた後、契約を交わした。
ヘルマンは、武器でも薬品でもなんでも、要求されたものが製作可能であれば作ると、約束した。
そして、代金以外に二つの条件を、彼は提示してきた。
一つ目は、カダムのお抱え錬金術師である以前に、あくまで自分はフロッケンベルクの使者だという事。
二つ目は、とても変わっていた。
自分に嘘をつかせない、という事。
「他人の嘘には眼を瞑りますが、僕自身は、嘘をつきたくありませんので。」
その条件に、カダムは特に異論をとなえなかった。
嘘をつかれないなら、むしろ好都合だ。
試しにいくつか薬品類を作らせたが、紹介状に書かれていた通り、トップクラスの腕前である事に、まちがいはなかった。
こうしてカダムは、ヘルマンと正式に契約を結んだのだった。
大貴族が個人的に、錬金術師や魔法使いをお抱えとして雇うのは、ステータスの一種でもあり、べつだん珍しくもない。
とくにコソコソ隠す必要も無く、カダムはヘルマンを屋敷に住み込ませ、王宮にもたびたび呼んでは王に紹介し、宮廷内の情報を与えた。
王宮を制圧するために必要な武器の数、人員の配置、そういった細部にいたるまで、ヘルマンは事細かく綿密な計画を立てた。
彼は錬金術師として一流であると同時に、軍師としても一流で、カダムはその点について、とても満足していた。
また驚いたことに、文弱の学者肌のように見えるこの青年は、暗殺者としても素晴らしく、反乱の際に邪魔になりそうな敵を、何人も始末してくれた。
それも申し分ない。
あらゆる面で、有能であり完璧な青年だった。
美しい顔立ちにくわえ、服装も品が良く、一部の隙も無い。
アイロンのかかったシャツとベストの上に、どんなに晴れた日でも、白衣か黒く長いコートを羽織っている。
きっちり首元に巻いたタイは、フロッケンベルクの紋章を象った青いブローチで留められていた。
彼の口元には、常に愛想の良い笑みが浮かんでおり、とても人当たりの良い青年に見える。
だがよく見れば、アイスブルーの瞳は、いつも冷たい氷の温度を保っていた。
それに気づく者はごくわずかだったが。
結論から言えば、カダムはヘルマンの仕事ぶりに満足していた。
だが、カダムに対して礼儀正しいが、欠片も敬わないし恐れもしない点については、いつも非常に腹をたてていた。