べっ甲飴-7
桃子さんの胸に倒れこんで、息を整える僕。
彼女の心音はとても速く、時々体が何かを思い出したように震えた。
上から桃子さんの声が聞こえた。
その声はとても静かで、他人事のようだった。
「先生、私ね−」
彼女が告げた。
それは突然の別れだった。
「結婚するの」
言葉が出なかった。彼女は淡々とした口調でそれだけ言った。その言葉にどんな意味があるのか僕にもわかる。
思い知らされた。彼女は僕と違って身分のあるお嬢様なのだ。
所詮僕はただの村医者で、彼女の主治医以外の関係にはなれない。
人目を忍んで愛をはぐくんだとしても、彼女は僕の元から去ってしまう。
言葉に詰まる。
彼女は何も言わない俺にまたぽつりと言った。
「何も言ってくれないのね」
返す言葉が見つからない。
どんな言葉をかけていいのか分からない。
でも心が否定する。
こんなこと嘘だ。僕以外の男に抱かれるなんて−。
「さようなら、先生」
さよなら−
やはり君はべっ甲あめでできていた。
透明な琥珀色の甘い味。僕が舐めすぎたから、君が溶けてなくなってしまった。
さようなら桃子さん。
泣きながら僕は診療所を後にした。
もうここに戻ってくることはない。
僕は旅行バッグを持って駅まで歩いた。
口の中で転がるべっ甲飴に、桃子さんとの慕情を重ねた。
(終わり)