鶴女房-6
与平は襲いくる罪悪感や自責の念から、身を守るように布団の中に籠城していた。
暗闇の中で彼は、震えながら自らの行いを悔いた。
想像とはいえ、自分はおつるさんを汚したのだ。そして、自らの不埒な行いはおつるさんの知れるところとなった。
あの時、見なかったことにしておけば、こんな事態には為らなかったと思うと、胃がキリキリと痛む。
だが、何度悔いたとて、もう全てが遅いのだ。
「与平さまは本当にいけないお方ですわ…」
与平は、いるはずのない女の声に怯えた。
「許してくれ、許してくれ」と悪霊を払う呪言のように、幾度となく繰り返す。
恐怖のあまり幻聴が聞こ出す始末だと、初め与平は思い込んでいたのだが、少し違和感があった。
確かに人がいる気配が、布団の向こうから発せられるのだ。
「与平さま…、おつるはここにいますよ。どうか布団を除けて下さいませ…」
自分の心の内を覗くよう、語りかける澄んだ声。間近に聞こえるそれは、紛れもなく聞き慣れたその人のもの。
与平はおそるおそる、布団を払った。
「お、おつる、さん!?」
与平は驚愕のあまり、心臓が口から飛び出してしまうのではないかと思った。
確かに声の主、おつるはそこにいた。
しかも、あろうことか布団ごしに自分の体の上に跨っていたのだ。
彼女の近付く足音と、体の重みに気づかず、ここまで接近を許していたことが、与平には不気味で仕方がなかった。
「ふふふ…与平さまったら。そう怯えずともご心配なさらないで下さい。わたくしは怒ってなどいないのですよ」
「でも…でも俺は、おまえさんとの約束を無碍にした上、その…、あなたで…」
「確かに与平様は約束事を無碍にしました。それは罰せられるべきことかもしれません。ですが、人とは『するな』と念を押されると、かえって『してみたくなる』生き物ゆえ、与平さまの気心が知れぬ訳ではありません。それに、わたくしの自涜を覗いた貴方なら大方察していただけるはず」
「な、何を…?」
彼女は美しい顔に、妖しい笑みを浮かべた。
部屋の蝋燭の明かりに照らされた白い肢体と相俟って、妖艶な雰囲気を醸し出す。
清楚で貞淑な印象の強く残るおつるの変わり様に、与平は当惑しながらも、収まっていた熱が再び身を沸き立ってくるのを感じた。
「あなたがわたくしを慰みにした時、わたくしが女としての悦びに打ち震えていたことを・・・」
そう言うと、彼女の整った顔立ちが眼前に迫ってくる。
甘い吐息がかかる距離まで詰めて止まると、静かに煌めく彼女の銀髪が顔の両側に垂れた。
若い娘に免疫の無い与平は、ここまで女体と密接したことはかつて無く、与平は意図せずおつるを払い除けようとし、両肩を掴む。
「おつるさん……、俺…分からねぇ…分からねぇよ! どうして、どうしてこんなことするんだよ!」
「どうしてって…。この期に及んでまだお気づきになれないのですか? それとも、与平様はわたくしのことが嫌ですか…?」
おつるは、自分が否定されたのだと思い込み、不安の色を宿した双眸を与平に向けた。
「そんなことない! むしろ、おつるさんみたいな別嬪さんに好かれるなんて、男として嬉しくないはずがねぇ! でも、分からねぇんだ! なんで、おつるさんは俺なんかに惚れるんだよ…! 少しばかり体力に自信があるだけの、貧乏で何の取り柄も無く、金も名誉も地位も無い、こんな干物みたいな人生を送っている男に!」
与平を狂乱させていた感情は、驚愕でも、困惑でもない、一種の恐怖であった。
人間の恐怖の根源は未知から来る。与平にはただ、理解が出来なかったのだ。
明らかに自分と吊り合わない、本来なら高嶺の花のような女性が、まだ出会って間もない自分の事を好いている。
そんな非現実的な幸運を嬉々として受け入れるほど、与平は気楽な性格ではなかった。
「そう自分を卑下しなさらないで下さい」
「な…」
「そう言ったのは他でもない、あなたではありませんか。わたくしは知っています、与平様は誰よりも優しい心をお持ちなのだと。貴方は自分で気付かれていないだけなのですよ」
「出会って間もないお前さんに、俺の何が分かるんだ!」
「分かりますわ」
おつるは突き刺すような真剣な眼差しで与平を見据えた。
与平は射抜かれたように、彼女の視線に制され、何も言えなくなった。
「これから、わたくしは貴方様の優しさを知る者の話をします。それは貴方様もよくご存知でしょう」
おつるは神妙な面持ちをし、凛とした口調で語り始めた。