鶴女房-2
「あの…、どうかなされましたか?」
瞬きせず立ち尽くしていた与平に、女は訝しげに声をかける。
女に呼ばれてようやく我に帰った与平は初めて、彼女が自分の家の戸を叩いた者であると改めて理解した。
「い、いや、申し訳ない。こんな酷い吹雪の中大変だったでしょう。どうぞ、入って下さい」
「ああ、ありがとうございます」
女は安堵したのか、先の僅かに強張った顔をほころばせ、柔和な笑みを浮かべた。
与平は、美女の微笑みにたじろぎながらも中に招き入れ、女が身体の雪を払っている傍らで彼女の荷物と傘を預かった後、部屋へと案内した。
*
女は名を「おつる」と言った。
何でも、友人の元へ赴く道中、吹雪に見舞われてしまい、今日中に友人の元へ行くのを諦めて、宿を借りて雪をやり過ごそうと思い立ったが、近くに屋敷はおろか、小屋一つさえ無く、襲い来る吹雪に堪えながらも、やっとの思いで見つけたのが与平の家だったのだという。
「わたくしめが難を逃れられたのも、与平さまのおかげ。このご恩は一生忘れません」
おつるは見るもの魅了する華麗な所作で、床に手をつけ頭を垂れる。その丁寧な振る舞いと言葉遣いに、彼女の育ちの良さが伺えた。
容姿の高貴さと相まって、与平にはたとえ彼女が、自分は異国の姫君であると告白をされても、驚かない自信があった。
「いやぁ、俺は当然の事をしたまでです。それより、貴女みたいな人にこんな小汚い家屋で一晩過ごさせるかと思うと、こちらとしても申し訳が立たないぐらいで」
「そんなことありませんわ。むしろ、こんなわたくしめには勿体無いくらいですわ」
「そう自分を卑下しなさらないで下さいな。むしろ乞食と見分けの付かないくらいボロい自分とこのボロ屋敷が惨めに映ってしまうくらい、貴女はお美しいのですから」
「まぁ、そんな…」
与平は彼女を持ち上げるつもりが、自分が真顔で恥ずかしい台詞を言ってしまったことに、口に出してから気付く。しかし、全てが後の祭りであった。
言われたおつるはというと、今にも湯気が出そうなほど顔が真っ赤になり、縮むように俯いている。掌を何度も組み直したり、正座して伏せた足がモゾモゾと動いたり、とにかく落ち着きがない。
落ち着きがないのは、言った本人も同じ事で。視線は宙を泳ぎ、上手く次の言葉を紡ぎ出そうにも、中々思い浮かばず、おろおろしている始末であった。
そうして、途切れた会話をなんとかして嗣ごうとした結果「そろそろ食事にしませんか?」と提案するに至った。
「それなら、わたくしが作って差し上げますわ」
恥じらいから脱したらしいおつるは、顔を上げて与平に言った。
「来客にそんなことはさせられませんよ。今夜はさぞ疲れたでしょうし、俺が作るからそこで待っていてくださんな」
「もし、与平さまがいなければ、私はあの猛吹雪の中で没していたでしょう。貴方様には命を助けられた大恩がある。それを少しでも御返ししたいのです」
「しかしなぁ…」
「どうか遠慮なさらないで下さいませ。それにわたくしは元来、料理は好きな方なのです。貴方様のような素敵な殿方のために作るとなると、なおのこと頑張り甲斐があるというものですわ」
おつるは満面の笑みを浮かべ、煌々とした眼差しで与平を見つめる。
彼女の輝く琥珀色の上目遣いに射止められ、堪らず気恥ずかしくなった与平は、降参の意を示すように目を伏せた。
「そ、そこまで言われると、男として断れないじゃないですか…」
彼女の熱い視線攻撃に根負けし、与平は渋々おつるの要求を飲んだ。
すると、おつるは「さっきのお返しです」と言い、悪戯が成功した時の小娘のように茶目っ気たっぷりに、しかし上品に笑った。
今度は与平の顔から湯気が出る番であった。