第2章〜第3章-9
憧れの男性を見つめている精神的な時間なのに、こんな目に遭うなんて―。強いショックを受けた。声が出なかった。男の手は奈美の腿の内側を撫でながら上がった。プリーツスカートの中に入ってきた。奈美は震えながら足を閉じようとした。しかし、男の手は素早かった。奈美の下着に触れてきた。下着越しにヒップの谷間を弄ってきた。
嫌悪と恐怖で心が凍った。
「やめて」
声を出したつもりだったが、声になっていなかった。手はヒップの谷間から股のあいだに入れられた。
「やめて」
泣き声が出た。ふいに手が引かれた。腰を圧迫していた鞄の重みが去った。そのとき、信じられないことが起こった。奈美が憧れている男性が、乗客を掻き分けて、こちらに向かってきたのだ。
「だいじょうぶか?」
奈美の前に来た男性は言葉を掛けてきた。力強い言葉だ。
「はい」
奈美は懸命に答えた。
「みなさん、その男は痴漢です」
憧れの男性は叫んだ。奈美は振り返った。男性は乗客と乗客の隙間を縫って、痴漢を追っていた。痴漢は乗客を腕で押しのけながら逃げていた。隣の車両に逃げ込もうとしているのか。
「警察だ!」
野太い声が車両に響いた。と、同時に電車は減速した。総武線の車両は荻窪駅のホームに入った。
電車の扉が開いて何人かが外に出た。人垣が崩れて、桜井刑事の姿が見えた。そして、痴漢の手首には手錠が掛けられていた。
「被害にあった方、すみませんが降りてください」
桜井刑事は早口ながらも滑舌がいい。
「お嬢さん、一緒に降りよう」
憧れの男性は、奈美の手を取って、笑顔で促した。爽やかな笑顔だ。
魔法にかかったようにいつのまにか荻窪駅のホームに降りていた。
「手を握ってしまった。ごめんなさい」
照れたような表情で言った。男性の言葉に奈美は胸が熱くなった。
「いえ、いいんです」
精いっぱいの返事であった。