第2章〜第3章-12
7月初旬の水曜日、午後5時半すぎ、三鷹駅近くの「しもおれ」という喫茶店に入っていくと、梶谷はボックス席で待っていた。
「こんにちは」と声を掛けると梶谷は満面の笑みで「こんにちは。いらっしゃい」と答えた。
店内は薄明るい照明が灯っており、大人向けのシックな店だと感じた。梶谷はキリマンジェロを飲んでいた。同じコーヒーをオーダーした。
奈美は、梶谷と向かい合って緊張していた。映画の話をしようと考えてきたのだが、いざ、梶谷を前にすると言葉が出なかった。困ったなあと思ったが、そんな奈美の緊張感を察したのか、梶谷の方から積極的に話しかけてきた。
「ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』が好きなんだ」
梶谷は言った。
「ベニスに死すはわたしも好きです。あの少年、素敵ですよね」
「ビヨルン・アンドレセンだね。あれほどの美少年は世界中を探してもいないだろうね」
「わたしもそう思います」
映画について無我夢中になって話した。相手が梶谷だから夢中になれたのだ。
「奈美さん、今度うちに遊びに来ないか。ひとり暮らしのアパートだから、手狭だけど、いちおうきれいにはしているつもりだ。映画関係の本は、いろいろ持っている。気に入った本があれば貸し出しするよ」
梶谷は照れくさそうに言った。誘い言葉を語ったとき、奈美の目を見なかった。
「行きたいです。近々、おじゃまします」
「ありがとう…。来てくれることになるなんて、思ってもみなかった。嬉しいです」
梶谷は顔を紅潮させた。
(大人だけど、純情な面がある)
奈美は梶谷を見つめた。
奈美の視線に気づいた梶谷は、奈美と目を合わせてにこっと微笑んだ。