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バベルへの弔詞
【純文学 その他小説】

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バベルへの弔詞-1

「運命」という言葉がある。
これは人間が作り出した言葉だ。たいていの問題を「不可抗力だ」と定義する事でそれ以上の反論を制止する事が出来る非常に便利な言葉だ。便利ではあるが、あまり乱用もしてはならない。これを使う時、人は小さな合理化を起こしている。あまり運命を乱用し過ぎると人生の大半が自己暗示で終わってしまう。それに使ったからと言ってその後の余生にプラス作用を施してくれるとはなかなか言えないのである。
「運命」という言葉は非常に便利だ。人間は純粋にさえなればいくらでもこの言葉に救われる事が出来る。ただ、純粋になる前にこれだけは知っておいて欲しい。「運命」は人間が作り出した言葉なのだ。それにどんな非科学的な、信憑性に欠ける曖昧な意味が含まれていようとも、これだけは事実だ。その崇高な響きに掻き乱され、自分を見失えば人はいくらでも絶望を生み出せるという事を、どこかで憶えておいて欲しい。 


      ――バルネラブル――

 彼に会ったのは僕が泣いていた時だ。
真っ暗な部屋で膝を抱えて頬を伝い流れる涙も拭わずただ声を殺して泣いていた時だ。
夕闇が侵食し始め、全てを暗黒へ返そうとする部屋の中で、僕はこの世の孤独を独り占めして眠りに就こうとしていた。母は五年前に姉と父と僕を残して死んだ。三人の生活はぎこちなくも何とか続いてきた。これからだって何とかなる。三人でやっていける、と思っていたのに。
――僕は孤独だった。

 「良、良」
十七歳の夏休みだった。僕は進路を語学関係に定め、勉学に明け暮れていた。
「何?姉さん」
僕には双子の姉、果穂が居た。出張の多い父との三人家族で、彼女は僕のたった一人の理解者だと言っても過言では無かった。
「私、法学の方へ進んでみようかな」
「凄いね姉さん」
「まだお父さんには話してないんだけどね」
「姉さんは成績いいもの。きっと父さんも賛成してくれるよ」
「良こそ、聞いたわよ。スポーツ推薦でも大学入れそうなんでしょう?」
「プロは夢だったけど僕には無理だよ」
「勿体無いわ。挑戦してみればいいのに」
姉は最後まで僕を促した。でも僕はやっぱり自分に自信が持てず、国立の英文科を受験した。僕は後悔なんかしていない。もしもあの時僕にそんな勇気があれば今何か変わっていたのだろうか。と時々自問するのは、ただの過去への悪あがきなのだ。

かける言葉が無かったのも事実だ。でも、だから顔を合わせなかったという訳では無い。受験に失敗した彼女は、その日以来自室に閉じ篭ってしまったのだ。僕も父親も心配した。物もあまり食べていないようだった。朝食も昼食も夕食も、僕が毎回部屋の扉の前まで運んだ。返された御膳からはあまりおかずは減っていなかった。
数日振りに会った実姉は酷い顔色で、全く生気が感じられなかった。それは大学受験の所為だけでは、なかった。
「ねぇ、私お母さんに聞いた事があるの。私達のご先祖様って悪い事をしたのよ」
食事を運んできた弟に姉は静かにそう呟いた。
言葉の意図は掴めない。
でも果穂は落ち込んでいるのだ。僕はそう思ってできる限り彼女を労わり、慰めた。
「貴方はいい選択をしたわね」
彼女の唇が何度も紡ぐその言葉の意味を、
その時は深く考えようとはしなかった。


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