飛んでいく鳥-3
〜〜
秋。
それほど深まってもいなくて、衣替えしたがまだ少し暑い気がする。
ある日悪友と共に図書室でいつもの如く過ごしていた。
「おい、人形」
返事をせず読みたい本を優先する。あまり怒らない僕だが不愉快にはなる。
こちらが何も言わないのをいいことに、また頭の上をまさぐってきた。
目を合わせずその手を掴むと、彼は苦笑いした。
「やっと反応したか。それ面白い?」
僕は答えに困った。
肉まんを剥がした紙に付いてる欠片の如く、漏れなく余計な一言がついてくるからだ。
コマ割りされた物しか受け入れない彼に、いや噛み付く物を求めている相手に、言う必要があろうか。
無い。だから黙っていればいい。よく考えずとも僕が取る行動は同じだった。
「おいおい、なんか言えよ。この際うざいでもいいから」
僕は彼を好きだと思った事はない。代わりに、嫌ってもいない。
わざわざ会話を交わさずとも、気付けば大体傍にいる。波長が合うというのはそういう事だろう。
「大介(だいすけ)」
「なんだよ、貴大(たかひろ)。邪魔すんなってか?」
「図書室におけるルールは?」
「知るか、そんなもん」
僕も詳しくは知らない。
自分が知らない何かを他人に聞くのは悪い事ではないはずだ。
別にそこまで知りたくないので、追及はしなかった。
「なあ、お前さ」
いつも本読んでばっかで、退屈しないのか。
声のトーンからこう来るだろうと、字を目線で撫でながら予想していた。
僕の占いは、当たる。
「姉ちゃん元気なのか?」
大介は僕の家庭の事情を知っているのだ。
だが、こうして直接聞いてきた事は、知る限りでは小学生の時以来だった。
酒の名前にもなっている英雄の言葉を借りれば、所持している辞書に遠慮という単語は無い。
こんな奴なりに、今までずっと僕に気を使っていたのだ。
「別に、変わらないさ」
「ちゃんと教えろ。今も病院だろ?」
「・・・・・・・・・」
気まぐれ、ってやつか。それとも違う方の気遣いか。
「お前、なんだか最近、元気ないみたいだからさ」
「人形が元気だったら事件だ」
「・・・そりゃ、そっか。悪かったな、変な事聞いちまって」
踏み込んでくると思い、構えたが、大介はすぐに引き下がってしまった。
心配は飛鳥ではなく僕に対してだったのか。これは明日は土砂降りだな。
口に出したら鬱陶しいから黙っていたが。
−飛鳥の容態は、率直に言うと芳しくなかった。
手摺りに掴まりながら歩き、見るからに顔色が思わしくない日が増えてきた。
それでも、彼女はまだまだ元気だ。思うだけならマラソンだって不可能では無い。
おねだりするものがバニラアイスではなく、ラーメンに変わった。たったそれだけの変化だと思いたかった。
「真面目に勉強してるのか、貴大」
「相変わらずだよ、姉さん。留年しなければいい、それが弟の座右の銘です」
「抜け駆けすんなー。連れてけ。一緒に行こう」
そういえば、だなんて味も匂いもしない言い方こそしない。
今なら汗なんてかかないはずだ。飛鳥にとっては、汗ばむだけで体に負担がかかる。
夏からどれくらい待ったか数えたら、カレンダーではあっという間だが両手では足りない。
病院側はなかなか外出許可を出してくれないのだった。
患者の体を気遣っているので厳しくなってしまうのです、とはあちらの言い分。
何かあっても外なら責任持てませんよ、という本音を、見栄えのいい箱に包んでいるだけだ。
愚痴を聞かされるのは弟である僕なんだから、そこらもフォローして欲しい。
そう思うのは我が儘だろうか。
「退学して下さい」
「なんでだよ?毎日見舞いに来いってか?」
「叔母さんを困らせてやればいいよ。あんたは16年間いい子だったからね、それくらいやってもまだイメージはぎりぎりプラスの範囲」
言いたい事が分からない。
僕はいい子に見えるのか、飛鳥にとっては。
「あのねー、寂しいんだよ。1人の時は」
「自分の為に弟がどうなってもいいっていうのか?」
やはり支離して滅裂だ。
安定の自分中心な幼稚さで、僕は呆れつつもどこか安心していた。
もし僕が飛鳥の立場だったなら、自分が衰えていくのを受け止められない。
だが、彼女は強い。いつ見舞いに来ても、笑顔を絶やさずにいるからだ。
いつも表面上は笑顔な医者の先生や看護婦より、よっぽど自然だった。
比べるのが不毛なのは分かっているが、敢えて言ってみた。
時間がもし戻るなら、いや違う。もし飛鳥が普通に生活出来ている世界があるなら−
そしたら、名前の通り自由だったのかな。
父さん・・・滑稽ですよ。貴方が名付けた娘は、真っ白い部屋から飛び立てません。
秋はいつの間にか深まり吹き付ける風は冷たさを増していた。