妻のいいぶん-1
「ねぇ、困るのよ。
私にだって都合もあるんだし…」
壁かけの時計は11時の長針がもう真下を過ぎていた。
そのさらに下においてある鉢植えのいつも見慣れた光景がいつものこことは違う世界にある偽物のように見えた。
「別に何もかまやしないじゃないか。
流れだから仕方ない事だろ?」
来客は早々につぶれてしまい、今から叩き起こして終電に乗せるなど絶望的と考える他にない状態。
「飲みに行くのもかまわない、遅くなるのも…
だけどこんな事は事前に電話ぐらいくれなきゃ私が困るのよ。」
本当に頭にくる。
どこの家庭にもある揉め事だとは思うけど、夫が突然に同僚を連れて帰宅する。
夫に人望というものがあるのは結構な事だろうし、そういう事がしたいならしたいで私はかまわないと思うのだけど、それなら和やかな家庭を守る私の立場としてこんな厄介な事はない。
しかも酔った夫は当然の事のように「仕方ないだろ?」ってなによ!
本当に仕方ないから私はこんな時間にとりあえずの掃除機をかけて床を用意すると居間に戻って、深夜の来客を揺すり起こすのだった。
「こんなところじゃ風邪ひいてしまいますわ…
どうぞあちらでゆっくり休んでください。」
「ん…あっ…奥さん。
これは申し訳ない。も、もう帰りますから今…何時ですか?」
「もう12時ですよ、今からじゃ電車に間に合わないです。
あっちでゆっくり休んでくださいよ。」
「そんなぁ…いや、申し訳ありません。
私はここで大丈夫です、少し休ませていただければ…」
来客は失態の表情を隠せないのがみてとれた。
だけど体は思いに従わない。
こんな時はもう、酔いに任せてつぶれてしまったふりをしておくに限るのだ。
中途半端な釈明をするよりも後から「酔ってました。すみませんでした。」と平に謝ればすべて済む事なのだ。
「南さんは?」
肩を貸して別室に導くと来客は我に帰ったように夫の事を尋ねた。
「あの人ったら、あなたを連れ帰るなりすぐに寝てしまいましたわ。
本当に困った人で…いつもご迷惑おかけします。」
短い廊下が長く感じられた。
肩にのしかかる酔客は案外しゃきっとしているものの、今は酔っている他にどうしようもないのだろう。
急な床を用意した和室は狭く、そこだけが奥まった場所にあるような雰囲気でなぜかここだけ冷房でも効いてるようにひんやりした。
よくある作り付けの和室でフローリングの床を切り取って一段高く畳を敷き、とってつけたような襖で遮った私たちにはほとんど無用の一画だった。
無理して購入した建て売りだからしょうがない。
付いてる物を取っ払うにはまた、料金が加算されるのだ。
「散らかってますけど、どうぞゆっくりしてくださいね。
スラックスが皺になっちうわ…」
私は来客のベルトを緩めると男が身に付けていたスラックスを剥がして筋を合わせて畳み込んだ。
ついでだから靴下も剥がしてしまう。
こうなると、どちらが夫だか分からないもんだ。
「何か代わりに着る物でも用意しましょうか?
あの人のでよければ何か持って来ますが…」
裸足になった右足が乳房にぐにゅりと触れる。
私は何事もなく、男にそう尋ねてみせた。