序章〜第1章-1
序章
電車から降りると、むっとした暑さが肌にまとわりついた。立野奈美は、白いカッターシャツの胸ポケットからレースのハンカチを取り出して、額に滲んだ汗を拭った。夕方になっても気温はほとんど下がっていなかった。制服のプリーツスカートを少し捲り上げて、膝の裏側も拭きたい気分だったが、駅のホームではさすがに恥ずかしい。無理だと思った。
階段を上がりかけたところで、左手に持っていたケータイが着信メロディーを奏でた。家入レオの曲だ。
「もしもし」
「奈美、放課後、話を聞いてくれるって言ったよね。先に帰るなんて、いじわる」
谷本紀美の声だった。どことなく拗ねた口調だ。
「あっ、わるいわるい。うっかりしてた。ごめんね」
「大した話じゃないけどね。電話で聞いてくれる?」
「うん、いいよ。今、駅のホームにいる。声が聞き取りにくいから、静かな場所に行ってから電話するよ」
奈美は、10分後に公園から掛けるねと言って、ケータイをOFFにした。
自宅から徒歩で五分ほどのところに井の頭公園があった。奈美はまっすぐ家には帰らず、公園の中に入っていった。夜になるまでにはまだ時間があった。スカートが皺にならないように、後ろを伸ばしながら、ベンチに腰掛けた。額の汗を拭いてから、谷本紀美のケータイに発信した。紀美はすぐに出た。
「奈美、公園に着いた?」
「うん、着いたよ」
「私は今、家だよ。誰にも聞かれたくないから、自分の部屋にいる」
「紀美、何かあったの?」
「うん…いいことがあった」
「なーんだ。いいことか。一瞬、心配したじゃない」