カオルE-9
「また、お前一人か?」
「そうだよ。それより、どうしたの?」
晋也は「帰りが少し遅くなるから」と、伝言を頼んだ。
それを聞いた真由美は、拗ねた感情を露にする。
「ええ!もう人数分の竜田揚げ準備したんだよッ、どうするのよッ」
娘の強い口調の声が、耳元で響く。晋也の頭に、難しい顔をした真由美が思い浮かんだ。
「帰ったら食べるよ。お父さんの分は残して置いてくれ」
「嫌よ!わたしが食べてやるッ」
「ハハハッ!じゃあ、お母さんによろしくな」
電話が切れた。
真由美は受話器を戻して、下ごしらえの続きに掛かった。
一人しか居ないキッチンに、ハミングが聴こえた。
下ごしらえを終えた真由美がバスタブに浸かっていると、扉の向こうが何やら騒がしくなった。
(お母さんたち、帰ってきたか……)
母親逹が帰宅すれば、夕食も間近である。そう思うと、居ても立ってもいられない心境だ。 真由美はバスタブを上がって浴室を出た。
濡れた身体をタオルで拭い、下着を着ける。髪を乾かそうとドライヤーに手を掛けた時、目の前の扉が開いた。
真由美の口唇から、小さな悲鳴が挙がった。扉の向こうに、薫が立っていた。
ショーツ一枚の姉の前で、目のやり場に困った様子で俯いていた。
「ど……どうしたのよ」
「お、お母さんが……ごはんまでお風呂にって……」
どうやら母親は、娘の存在を忘れているらしい。そう思うと何とも悔しさもあるが、目の前で困惑する弟の仕種に、真由美はいじらしさを感じた。
「そこ、閉めて」
「なに……?」
「わたしもこっち向いてるから、お風呂に入りなさい」
真由美は、薫を脱衣所に引き入れると扉を閉めた。
ひとつの狭い空間で、お互いが背を向けていた。
「身体は大丈夫?ずいぶんと絞られてるんじゃない」
姉の心配気な声が背中越しに届いた。薫は、汗で湿ったシャツを脱ぎ捨てた。
「うん。キツいけど、楽しいよ」
「楽しいの!?」
意外な答えに、真由美は目を丸くする。てっきり、嫌々ながらやってると思っていた。
「……まだ、みんなの足手まといだけど楽しいよ」
「ふうん。楽しいのか」
どういう心境の変化なのかは知らないが、弟は喜んでいる。それは、良い傾向かもしれなと真由美は結論付けた。
ふいに薫は、真由美の方を見た。
「あのね、お姉ちゃん」
「まだ、こっち見ないの!」
「ごめんなさい……」
たしなめるより早く、薫は姉から視線を外した。まだショーツ姿だったのだ。
髪を乾かし終わり、真由美は、ようやく部屋着を身につけると薫に言った。