「こんな日は部屋を出ようよ」前編-9
「どうして?バイト代が安いなら……」
「そうじゃないんだ」
「だったら、なんで?」
「黙って、辞めさせて欲しいんだ」
言えなかった。
これ以上言ったら、僕だけの問題じゃなくなる。 叔母が訪ねて来るのを楽しみにしてる、母をも悲しませる事になる。
僕は、叔母の前で頭を下げて待った。
すると叔母は、ひとつため息を吐いて話を繰りだした。
「何か悩みがあるの?ルリがね、この前のナオが変だったって言うのよ」
「えっ?」
「いきなり、ベランダの窓を開けたと思ったら、怖い顔して煙草吸ってたって」
そんな話をしてるなんて、初めて聞いた。 というより、あの冷然としたルリが、親子の会話を交わしてる光景を想像出来ない。
「あれは、我慢出来なくて……」
「だったら良いけど……ルリもね、あんたが来るのを楽しみにしてるのよ」
「えっ?」
「ほら、最近、私服着てるでしょう。 あれね、ナオに見せたくて、急いで帰って来てやってるそうよ」
叔母の口から、次々ともたらされる信じ難い真実に、僕は唯、驚くしかなかった。
「バイト代の値上げなら相談に乗るから、辞めるなんて言わないでよ」
結局、僕は押し切られて、また辞める機会を失った。
自宅に戻り、ベッドに寝転がる。 天井を眺めながら、僕は思考を廻らせた。
家庭教師で見せるルリと、さっき叔母に聞かされたルリが、とても同じ人物の行動とは思えない。
僕の目の前では終始、冷淡とした仕種を繰り返すのに、実は僕に見せる為に服を着替えたり、僕の事を叔母に話している。
(どっちが本心なんだ……?)
どうやら、嫌われてはいないようだが、さっぱり解らない。 ふと、中学生の頃の出来事が甦ってきた。
二年の時、教育実習で男の見習い教師が学校に来た事があった。
その時、一部の女子は、休み時間に群がって質問をぶつけていたが、殆どは遠まきにして眺めるだけだった。
しかし、遠まきにしていたから興味が無かったわけじゃない。 そういう女子だけで話題にしているのを、聞いたことがある。
(やっぱり、年上への憧れなのか?)
どちらにしても、これまで通りに接するのが良いようだ。
そう思うと、なんだか気分が軽くなった。
夕方を迎え、僕は再び叔母の家を訪れた。
玄関ホールで出迎えたルリは、今日も私服だった。
Tシャツに膝丈のジーンズ。 降ろした髪と相まって、歳相応に見える。
それよりも、僕は可笑しくなった。 叔母の言っていた事が本当ならば、彼女は僕に見せる為に学校から急いで帰り、着替えいるのだから。
「どうかしたんですか?」
いつの間にか、僕は笑っていたようだ。
ルリが不思議そうな顔で窺っていた。
「い、いや、何でもないんだ!」
僕は苦笑いを浮かべたまま、玄関を上がった。