C-6
「ありがたいけど、今日は帰るよ」
「ど、どうして?」
「だって、先生きつそうだもん。それに、母ちゃんも待ってるから」
哲也は、そうに答えて玄関の方へと向かっていく。
雛子はすぐに後を追った。
「今日は、本当にごめんなさい」
「いいよ、気にしなくて」
外は、すでに日が落ちていた。
「また明日ね」
哲也は、リアカーを引こうとして、肝心なことを伝えてないのを思い出した。
「それと、お風呂沸かしてるから」
「ええっ!」
「さっき点けたばかりだから、大丈夫だと思うけど…」
そう言って、雛子に背を向けた。
「ありがとーーー!」
哲也の右手が声に応えた。
雛子は見えなくなるまで見送った後、家の中に戻った。
「もうちょっとね」
湯加減をみてから、勝手口を出て、裏にある風呂焚き場を覗いた。
暗闇の中で、石炭が赤々と燃えている。これなら、湯が沸き上がるまで足りるだろう。
「じゃあ、晩ごはんの用意にかかるか」
雛子は、米びつから明日の分まで米を取り、研ぎだした。
(情けない…)
今日1日で脆くも崩れた決意。いや、決意と言うのもおがましい、独りよがりだ。
雛子は今、己の甘さを痛烈に噛みしめる。
(これじゃ本末転倒だ…)
そして、厳しくあらねばと言い聞かせた。
翌朝。
「先生!おはよう」
哲也の手が玄関の扉にかかるより、先に扉が開いた。
「おはよう!」
現れたのは、すでに野良着を着た雛子だった。
はつらつとした表情。哲也が見ても、昨日とは気構えの違いが伝わってくる。
「今日もよろしくね、先生!」
突拍子もないことを言う雛子。聞いた哲也は戸惑った。
「何?先生って…」
「哲也くんは、百姓仕事におけるわたしの先生って意味よ」
「先生に先生って言われて…何だか、変な感じだね」
「んふふ…行きましょう」
2人は笑顔を交わし、庭へ向かった。