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『約束のブーケ』
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『約束のブーケ』-18




「どうぞ、入ってください」

透に促され、僕は音楽室への扉を開けた。
休日で人は出払っている為か、学校の中は静かで、だから僕のような部外者が入っても何も言われることはなかった。
念のため、事前に透に便宜を図ってもらっていたから問題ないと思うが。

「ここも懐かしいな」

高校の頃、一度だけここに戻ってきた事を除けば実に10数年振りのことだ。
僕は周りを眺め、変わらない教室の景色に目を細めた。

「僕の担当は数学なんで、普段は入らないんですけどね。桐島先生に先輩の事を話したら喜んで貸してくれました」

「覚えててくれたんだな、僕のこと」

桐島、いや今は確か三田村だったか。
結婚しても仕事を続けていて、ずっとこの学校で教師をしているらしい。

「そりゃ、もう。先輩のCDは全部持っているって言ってましたよ。式の時からファンだそうです」

「ありがたいな」

「まあ、先輩のファン1号は僕ですけどね。そこは譲りません」

透は得意げにそう言った。
僕は苦笑してしまったが、透は真剣だった。

「もっと、聞かせてあげればよかったかな。ここで弾いてた時は、いつも閉め切っていたから」

あの頃の僕は、自分に自信がなかった。
他人の評価も気にする人間でもなかった。
でも、ほんの少しでもいい。
外に目を向けていたら、違っていたこともあるのかもしれない。

「先輩は、もっと自分を好きになるべきです。それだけの物を、持っているのだから」

無垢な眼差しで透は見ていた。
僕と言う人間の向こう側にいる明良を。
僕はそれを今までずっと話せないでいた。
彼を救った音は、それまでずっと僕を支えてきた音でもあった。
その意味で、僕たちは本当に似た物同士だったんだ。
だから、慕ってくれる透に申し訳なくて話すことができなかった。
俯いたままの僕に透は言った。

「いいんですよ、先輩。何も言わないでください」

彼は首を振って、言った。

「義姉さんと先輩の関係を初めて聞いた時に、気付いたんです。先輩が、この人に憧れていること。それは、僕と兄さんの関係に少し似ていました。兄さんはああいう人だったから、誰からも好かれて、味方も大勢いた。そんな兄だったから、僕は屈してしまった。比べられるのが嫌でしょうがなかった。兄さんみたいになりたいって憧れながらも、心のどこかであの人の事を否定していたんです。でも、先輩は、違ったんですよね?」

透は確かめるように僕を見て、聞いた。
僕は下を向きながら自分の手を見た。
細長く、真っすぐに伸びた手。
指の先端はタコになって、石のように硬くなっていた。
正真正銘ピアニストの手だ。
いつか触れた彼女の手の硬さを思い出す。

きっとあの頃よりもっと前から、僕は明良をピアニストとして意識していたんだ。


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