異界幻想ゼヴ・ヒリャルロアド-2
「お前、最初は俺の事大嫌いだったろ」
苦笑混じりのその言葉に、女は男を見上げる。
そう、最初は大嫌いだった。
けれどいつの間にか、こんなに心を奪われてしまった。
「うん……最初は」
自分を見上げる女の唇が僅かに開いていて、まるでキスをねだっているように見える。
やっぱりこいつに警戒心は皆無だ。
無垢に見えるくせに男を誘う仕草を感じるにつけ、男はそう思う。
打算のない天然だから、なおさら質が悪い。
自分が縊り殺してしまったあの男が彼女に執着した理由も、こんな所にありそうだ。
あんにゃろう女を見る目だけはあったなぁと思い、男は唸った。
「あ、でも今は……」
その唸り声を不機嫌の証ととったか、女が弁解を始めた。
しかし言葉はすぐに止み、女の顔が朱に染まる。
「……言えよ、続き」
照れてうつむく女の顎に指をかけ、上向かせる。
外からもう一度、二人を呼ぶ声が聞こえた。
「呼んでる……」
「言えよ」
もぞもぞ動いて女は抵抗を示すが、男は容赦しない。
こうして同棲を開始するまでにこの口から何度かその言葉を引き出してはいるが、何遍聞いても耳に心地いいし嬉しくなる。
知り合った当初は嫌われていただけに、嬉しさは倍増なのだ。
自分を捕らえている男の腕力から抜け出すのが不可能なのは分かりきっているので、女は両手を握り締めた。
何度も告げた自分の気持ちだが、口にするのはやっぱり恥ずかしい。
しかし、言わないと男は解放してくれないだろう。
引っ越しを手伝ってくれている人達を、これ以上待たせるわけにはいかない。
「今は……」
女は伸び上がり、男の耳に囁く。
「好き」
聞きたい言葉を引き出した男は微笑んで、女と唇を重ねた。
その夜。
居間のカウチで文字の対応表と突き合わせながら古い書物を読み込んでいる深花の前に、ホットワインが差し出された。
「?」
思わず、ホットワインを差し出しているジュリアスを見上げる。
「飲めよ」
ジュリアスはそう言うと、隣に腰掛けた。
「ありがと」
受け取って、一口だけ口に含む。
蜂蜜の甘みとスパイスの効いたワインが胃まで落ちると、深花は微笑んだ。
かなり甘めに味付けしてあるのは、自分が飲みやすいようにとの配慮だろう。
「何を見てる?」
ジュリアスは、書物を覗き込む。
「……なんで始源記?つうか、誰が貸したんだよ?」
本来なら門外不出とされる神学書が新しい我が家にある事に対する真っ当なツッコミに、深花は答える。
「ヴェルヒドさんの言葉を聞いてから、興味が湧いちゃって。最初は門前町の分殿に頼んだんだけどさすがに断られちゃったからそれならと思って殿下にお願いしてみたら、『古語はさすがに習ってないだろうから』ってお返事と対応表と一緒に、気前よく貸してくれたよ」
事情を聞いたジュリアスは、短く口笛を吹く。
「ユートバルトの奴……お前を相談役に据えたいって言ってたの、本気だったんだな」
「私が殿下に何のアドバイスができるのかは、さっぱり分からないけどね……私なんてミルカを辞める事になったらその後はどこにも行く当てなんてないし、構わないと言えば構わないけどねぇ」
付け加えて肩をすくめる深花を見て、ジュリアスは言う。
「お前やっぱり、気づいてなかったんだな」
言われた深花は始源記から目を剥がし、隣に腰掛けたジュリアスを見る。
「何に?」
甘さはかなり控えめに調味した自分用のホットワインを一口飲み、ジュリアスは喉を潤した。
「ティトーは思考パターンが近すぎてかえって気づかなかったみたいだが……あのオバハン、ユートバルトの婚約騒ぎにかこつけてお前の能力テストもしてたんだよな」
王妃をオバハンと呼ぶ傲岸さに、深花は呆気にとられる。