『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜第三部』-99
第三九話 《変後暦四二四年三月五日》
「応答せよ、応答せよ…………くそ…完全にはぐれたか…」
幾度かの通信を試みて、エリックは呟く。
何とか無人機の群れは引き離したものの、今や完全に孤立してしまっていた。
横には、建物にもたれかかる形のアーゼン。
脚部は左足が膝から下が潰れており、まともに戦えそうにない。
「おい、動けるか?」
『……………』
通信で呼びかけても、返事はない。口が聞けないのか応える気がないのか、はたまた通信が届いていないのか、エリックには判らない。そして、判らなくとも問題は無かった。
(……置いていった方が安全だな…)
安全とは、自分の身がである。口を聞かないだけ、情をかけなくて済む。
心の中でぼやきながら、これからの事を考え始める。もはや退くにしては深部まで入り込みすぎたが、進むには危険が大きすぎる。
(まぁ、選択肢は一つしか無い訳だがな)
何故、クリスと共に生き延びた地下空間に居た無人機達が姿を現したのか。それを確かめる為にこそ、エリックはここに居るのだ。
誰かが説明してくれるとはエリック自身思っていないが、それでも。
(……行くしかない、か)
確認し、エリックはペダルを踏み込み、ベルゼビュールを前進させる。
最早、あと少しまで迫ったレアムの中心部へと。
「……何処かに身を潜めていろ。運が良ければ戦闘終了まで生き延びられる」
本当に気休めに過ぎないが、一応未だ動かないアーゼンに呼びかけておくエリック。
『………』
だが相変わらず、アーゼンからの応答は無い。動く様子すら無い。
「……やれやれ」
エリックは小さくため息をつくと前進を再開しようとして、ふとある事を思い出した。
「そういえば、追加武装の試験をやっていなかったな……」
アリシアに言われたイオンブースターの話だが、今の今まで全く忘れていたのだ。
さすがに、敵との戦闘中に試す余裕は無い。今回の戦闘が終わってから試しても良いが、使える機能があるならば早めに把握しておくに越したことは無い。丁度今居る大通りは中心部まで続いているようだし、今のうちに実験しておくのも悪くはないだろう。そう思ったエリックがモニタ横にあるカバーを外すと、縦に並んだ三つのボタンが姿を見せる。
「…黄色で使用準備、青で使用、赤で停止だったな……」
エリックはアリシアの話を思い出しながら、呟くエリック。
使用の度にレバーグローブから手を外さなければならないとは不便な事だ。そう思ったエリックだったが、現在使用しているボムなども同じ原理である事を考えればそれほど不思議でもない。元々がパイロットスキルの高い者用に作られているのだろうから。
(エル…アルファの為…か?)
ふと、そんな事を考えてしまう。実際カゲトラから聞いた話では、そうだった筈だ。
しかし……
『何処ぞで手足の骨を折って帰って来た時以降は、そうでも無かったようでゴザルがな』
とも言っていた。手足の骨を折って帰って来た時というのが、エリックと初めて会った後の事だろう。あの一件で、クリスにどんな心境の変化があったのか。
もしかすると、死んだと思っていたアルファへの追悼の意を込めて造ったのかもしれない。
或いは、エリックの為に造ってくれたというのは…
「自惚れが過ぎるか…」
事実がどうなのかは判らない。そして、これからも判る事はないだろう。
確かなのは、今エリックがこの機体に乗っているという事。それだけだ。
「…そろそろ始めるか…」
いつの間にか感傷的になっていた気分を振り払うようにして、エリックは一番上にある黄色のボタンを押してみる。考え込んでいてはキリがないし、過去の追憶よりも、今は他にやるべき事がある筈なのだから。
ボタンを押した途端、微かな振動がベルゼビュールのコクピット内を震わせた。
振動が暫し続いた後。サブモニタに映る機体状況の左隅に、「UNDER STANDBY(待機中)」という字が赤く点滅した。準備は整ったらしい。
「よし……」
イオンブースターの推力に備えてエリックは身構え、呼気を整える。
そしてそのまま、青いボタンにかけた指に力を込めた。
押し込まれたボタンの手応えと共に、吸気音がコクピットに小さく響き……
「……………………」
それだけだった。吸気音は少し続いた後に止んでしまい、それきり何の変化もない。
「…………………」
これには絶句するほか無いエリック。
「…………実装されていない…のか?」
よく考えれば、ベルゼビュールは完成しているかどうかも怪しい機体なのだ。実際には使えない装備があったとしても不思議は無い。