『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜第三部』-89
第三四話 《変後暦四二四年三月四日》
薄暗い部屋…正確には半物置。窓から見える景色の動きは、トレーラーが移動している事を伝えている。入る夕日は部屋を照らし、橙の空間を作っていた。そんな部屋でCS装置にもたれかかったエリックは、虚ろな瞳で宙に視線を這わせていた。感じる事をやめてしまったかの如く、無表情。動く様子はない。
まるで以前、クリスの死を思い出した時のような状態だ。
しかし………
扉が開く音に、エリックは反応して顔を上げた。
「…」
部屋に入ってきたアリシアを確認すると、エリックは俯いて床に目を遣る。
空の食器とトレイ。数時間前にアリシアが持ってきたものだ。
「食欲は、問題無いようですね」
アリシアは相変わらずの無表情でエリックを見下ろし、エリックが差し出したトレイを受け取りながら言った。もう少しダメージを受けていると予想していたらしい。
クリスとの再会(?)の後エリックは暫く廃人同然だった。この場所から引き離そうとすると抵抗するものの、一言の発言もせず、アリシアの持ってくる食事にも手をつけなかった。だが二日もすると食事に手をつけ、話しかければ答えるようになっていたのだ。
エリックも色んな経験を経て、強くなったという事なのだろうか。
「まぁな」
エリックは床に彷徨わせた視線を動かすこともなく、簡潔に答える。
食事は毎回アリシアが持ってきてくれる。以前聞いた所、アルファからの要望だという。憎き仇からの施しの筈ではあるが、意外と抵抗無く受けていたりするエリック。
何も気にしていないようだ。
「エルは…話せるようになるまで一ヶ月ほどかかりました」
「そうか」
やはりそっけない、エリックの返事。
会話と呼ぶにはあまりにそっけないやりとりは、アリシアが話しかけ、エリックが短い返事をするという形に終止していた。何故アリシアは話しかけてくるのか。エリックには理解しようというつもりもない。ただ興味もなく話に耳を傾け、相槌を打っているだけだ。
「では、事件に関する事を話します。協力してくれますね?」
問いかけというよりは確認、といった感じでアリシアは言うと、持っていたトレイを手頃な台の上に置く。エリックはといえば、相変わらず視線を床に這わせたままだ。
事件の核心を掴む事が目的で此処まで来たが、今のエリックにはどうでも良い事だった。
クリスの傍で悲しみを愛でる事以上に大切な事など、エリックには見当たらないのだから。
「考えておく」
「事件発生の発端は、ジュマリアの新兵器の暴走と推測されます」
適当な返事をするエリックに対し、アリシアが説明を始める。
まともな反応は、元から期待していなかったのかも知れない。
「敵の正体は特殊ナノマシン兵器というのが、ワイザー博士の見解です。様々な物質を擬似的に再現する事が可能で、電力消費を伴う自己増殖機能が搭載されて居ます…敵勢力の異常増殖は、この機能に因るものでしょう」
「なるほど」
ここまで適当に返されれば怒りの一つも覚えるのが普通だろうが、やはりアリシアの表情に変化は無かった。
「この移動施設は、ナノマシン兵器の制御部…無人兵器群の中心へと向かっています。今日までにも何度か戦闘はありましたが、これからはその頻度も危険度も段違いでしょう。ですから貴方には、中核攻撃要員であるエルのサポートをお願いしたいのです」
特に哀願する訳でも必死に頼み込むでもなく、淡々とした口調。
そんな口調で頼まれたところで、本当に必要とされているなど思える筈もないだろう。
だがそれすらも、エリックの関心を引くことはない。