『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜第三部』-49
研究棟休憩所のベンチで、エリックは休んでいた。濡れたタオルを、頭からかけている。
先ほどの訓練の結果は、引き分け。それから幾度と無く訓練を繰り返したが、勝ったり負けたり、結果はマチマチである。さすがはH・Sというところか。
しかし、エリックも大分進歩している。初めてベルゼビュールに乗った時は、機体を立ち上がらせるのも大変だったのだ。何しろベルゼビュールにはバランサーリングがなく、全ての重心制御が足元のペダルで行われていたのである。しかし一旦慣れてしまえば、その方が素早く行動できる。マニュアル車とオートマ車の違いのような感じだろうか。
ちなみに、何に使うのか判らないボタンが、ベルゼビュールのコクピットには在った。
もしかすると自爆スイッチかも知れないと、ずっと押す事はできなかったのだが。
「……………はぁ……」
息を吐き出し、タオルで汗に塗れた顔を拭う。単なる操作とはいえ、ワーカーの操縦はかなり体力を消耗する。Gによる疲労も大きく、訓練の合間にはある程度の休憩が必要である。ベルゼビュールも今は整備中だ。
と、エリックの耳が、近づいてくる足音を捉える。振り向けば、そこにはX2の姿。
片手で持ったトレイの上に、紙製のカップが二つ載っている。
「カゲトラ博士から」
それだけ言って、トレイからカップを一つエリックに手渡す。
そのまま、ベンチに腰を下ろした。見れば、彼女の額にも汗が浮かんでいる。
やはりH・Sでも疲れる事はあるらしい。…かなり失礼な言い方だが。
「…ああ、すまないな」
一言言って、エリックはカップを受け取り、口をつける。中身は、甘めの紅茶だった。
「……………」
X2も、エリックと同じようにカップに口をつけている。
「…………」
沈黙。
考えれば、訓練は共にしても、こうして二人で居る事など無かった。
「……………」
二人はただ休憩し、時折カップを傾けているだけだ。
「…………なぁ……」
なんとなく、エリックは口を開いた。何を話そうと思っての事でも無く、本当に、ただなんとなく。X2がクリスに似ているから、そんな気が起こったのか。それはエリック本人にもわからなかった。
「……………」
X2は、反応して無機質な光を帯びた目をエリックに向ける。
『何の用か』と、その視線が言っていた。
「あ…いや……この間はすまなかったな…」
別に言いたい事も無かったのだが、とりあえず先日の一件を詫びる。
まともに話をする機会も無かったし、この先もあるかどうか判らないからだ。
「?」
表情も変えず、X2は首を傾げる。何の事か判らない、とでも言うように。
その様は、何処と無くアリシアを連想させる。
「いや……この間は、会っていきなり………な」
途中まで説明して、なんとなく気恥ずかしくなったエリックは言葉を濁す。
人違いで抱きついたなど、言葉にするとかなり恥ずかしいものだ。
「謝罪の必要は無い。私は気にしていない」
そんなエリックにも構わずに、X2は答える。これがクリスならば、なんらかの感情的なリアクションがあっただろう。そんな事を考えて、エリックは自嘲気味に笑う。
自分は結局、この少女にクリスの面影を求めていただけなのだと、気付いてしまったから。
幾ら遺伝子が同じであろうと、この少女がクリスである訳もないのに。
「……そうか、ならいい」