『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜第三部』-15
「ぐっ……!」
エリックを転ばせた男は、一目散に扉へと駆け出す。
「この……っ!」
倒れた態勢のまま、エリックは男に向かって銃を構える。
だが。
「っ!?」
すっと、人影がエリックの前に手をかざし、制止したのだ。
その間に男は、扉から出て行ってしまう。
それを呆然と、見届ける事しかできないエリック。
「どういうつもりだ……?」
感情を押し込め、エリックは訊ねる。それでもその声には、若干の怒気が滲んでいる。
「止める必要はありませんでした。」
エリックの様子に気付いているのかいないのか、穏やかに人影は言う。
「彼にも、かような行動に及ぶ理由があったのでしょう。」
改めて聞けば、不思議な声だった。高すぎず、低すぎず、男のようでもあり女のようでもあり。鈴…というより、透明、といった表現がよく似合う。良い響きの声だった。
その響きに、思わずエリックは言葉を失ってしまっていた。
昂ぶっていた精神が落ち着きを取り戻してゆくのを、感じる。
「…ありがとうございました。」
その一言で、エリックは正気を取り戻した。
見れば、人影は深く頭を下げていた。
「貴方のお陰で私は命を救われました。その勇気を、忘れる事は無いでしょう。」
妙に形式的な文章だが、その言葉には心が込められているように感じる。
「………まぁ、無事ならいいさ…じゃあな。」
言って、エリックは立ち去ろうとする。
人影の声は心地よく、いつまでも聞いていたい感じもあった。
だが、それは危険な事だとエリックの中で警報が鳴っていた。
居心地の良いもの、依存するものを作ってはいけないと、経験が告げていた。
クリスと離れてしまって感じているような心の穴を、増やす気にはなれない。
「お待ちを……」
しかし、後ろから人影がエリックの上着の裾を掴んでいた。
「……なん……!?」
振り向いたエリックの額に、何かが当てられた。
冷たくて、柔らかいもの。
一瞬遅れて、それが人影の手である事を認識した。
認識したものの、体が動かない。こんな時、どのようなリアクションをとるべきなのだろう。それが思いつかない所為もあるが、なぜか強制力のようなものが働いてもいた。
暫く、その態勢のまま時が流れる。
「……道に…迷っておられますね…」
やがて手を離した人影が、穏やかに言う。
確かに、エリックは迷いに迷ってここまで来たのだが……
「何故それを……」
そう。何故その事を知っているのか。
「案内致しましょう。着いていらしてください。」
質問に答えずに、人影は扉の方へ向かって歩き出す。
「…おい、ちょっ……くそっ…」
人影は廊下に出て行ってしまう。それを追いかけて、エリックも廊下に出る。
と、眩しさに一瞬眩暈がする。部屋の薄暗さに慣れてしまっていた目は、必要以上に廊下を明るく感じさせた。
「大丈夫ですか?」
人影の声が聞こえる。いや、もはやそれは人影ではなかった。
この明るい廊下では、はっきりとその人物が見えたのだから。