『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜第三部』-145
「まだ……!!」
しかしエリックはそれでベルゼビュールの足を休めたりはせず。先ほど回り込んだ時に確認した対ワーカー兵装の歩兵を、重心移動と機体の回転を利用して足で薙ぎ払った。
真正面から大型トラックに撥ねられた程度の衝撃はあっただろう。歩兵は元居た道路の中央分離帯から吹き飛ばされ、通りに建つ商店に叩き付けられてそのまま折り重なるようにして動かなくなる。
「…………」
エリックはベルゼビュールを回頭させて索敵するが、とりあえず周りに敵は居ない。マップにも反応はない。
通常兵装の歩兵すらも居ないという事は、元々対ワーカー部隊だったか、残りは建物にでも隠れてこちらを監視しているかだ。
後者とするなら、ただでさえナインの所為でこちらに向かってくる敵から、更に待ち伏せをかけられる事になる。全体を把握している時間こそないものの、
マップに見える敵の情報から考えるなら、これから遭遇する敵は三機から五機のワーカー。それとマップには表示されていないが、ワーカーをサポートする対ワーカー兵装の歩兵で一つの小隊といった具合だろう。
勿論一般兵装の歩兵も居るだろうが、それでワーカーに……特にベルゼビュールに太刀打ちできるとは思わない。要するに、大型の武器を持っていない歩兵は無害という事だ。
一般人も避難しているか屋内に篭っているのだろう、通りには居ない。と、そこでエリックは路肩に停めてある自動車の中に人が居るのを発見する。
直ぐにでも逃げたいが、下手に動いて危険な目に遭うのもごめんなのだろう。運転手の男はベルゼビュールを凝視したまま、運転席で固まっている。
「おい、そこの車の運転手」
ベルゼビュールの外部スピーカーを使って、呼びかける。運転手は可哀想なほど震えて、近づくベルゼビュールを見上げた。その視線がチラチラと、破壊したペールIVともう動かない歩兵へと動いている。それでも、エリックを刺激すると思ってかエンジンもかけない。
よほどエリックが……いや、ベルゼビュールが恐ろしいのだろう。その様が哀れにも思えたが、今は好都合だ。
「これからこの街全域に毒ガス攻撃が始まる。できるだけ早くこの街から避難しろ。知り合いにも教えるんだ」
運転手は最初の内、エリックが何を言っているか判らないようだった。しかしエリックが早く行け、と促すと、慌しくエンジンをかけて車を発進させた。
『まさかその調子で一人一人に呼びかける積もりかい?』
「黙れ」
ナインの馬鹿にしたような声に、車を見送っていたエリックは舌打ちして短く答える。
そもそもナインが妨害した所為で、強制的に戦闘する事になってしまったのだ。元々望みは薄かったが、こうなってはもうナビア軍の協力は期待できない。
「……ふぅ」
エリックは一息つくと、イライラしていた気持ちを落ち着ける。
イツアスはジュマリア残党によるレジスタンス活動が行われている、言わば紛争地域だ。恐らく戦闘行為が始まれば、住民は何処か規定の避難所に集まるだろう。
イツアス程度の都市であれば、主な避難所は恐らく二つ三つ。エリックがコンソールパネルを操作して地図情報を呼び出すと、サブディスプレイのマップデータが拡大され、イツアス全域の情報が映し出される。
イツアスの東部は変電所のある集電区画で、その他の工場や会社等が立ち並ぶ産業区。中央部に商店が集中し、学校が点在。その周囲に居住区が広がっている。
メインディスプレイにも気を配りながらエリックが民間ネットワークの避難情報を検索していると、程なく街の外周にある避難所を発見する事ができた。
避難所の場所は現在エリックが居る中央交差点から北西に二キロ程だ。そう遠い場所にあるわけでもないが、住民の避難が粗方終わった頃に行った方が効果的だろう。それまでに近辺で戦闘を行ってしまうと、そこに住民が近づかなくなる恐れがある。
かと言って、余り時間をかけすぎてはナインの充電が完了してナノマシンの散布が始まってしまう。
「なら……」
まずは避難所から離れた所で交戦し、一、二時間程経った所で避難所近くのナビア軍のトレーラーをドライバーごと強奪して住民を輸送する。もしくは避難所を密閉させて時間を稼ぐといった所だろうか。無茶ではあるが、現状ではそのくらいしか案がない。
そんな事をエリックが考えた時。
遠くの方で響いた銃声を、ベルゼビュールの外部マイクが拾った。