『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜第三部』-125
第四九話 《変後暦四二四年三月五日》
暗い空。黒い森。月明かりで微かに照らされる山の端。車の振動で細かに揺れる影絵のような風景は、ゆっくりと流れて行く。
窓からは見えないが、今居る移動研究所の後ろと前には、数台の軍属トレーラーが居るはずだ。事後処理と警戒の為に残ったトレーラーを置いて、一旦ナビアに戻る事になっている。事件は終結したのだ。
これからのレアムの復興に関しての協議が、ナビアの最高幹部連で話し合われているらしい。どうなるにせよ、レアムの街を覆うナノマシンの残骸が簡単に片付くとは思えない。
恐らくあのまま、死の街としてあそこに放置されるのではないかと思われる。せめてもの救いは、妨害電波が無くなった事で、少数ながらも生存者からの救難信号が確認できた事だろう。
そんな死の街が、これからも増える。しかも自分の所為で。もはや外よりも内を映し出すガラスに映った自分が、今更ながら、これ以上なく醜悪に見えた。
「どうだ、肩の傷は開いていないか?」
そしてエリックが見ていた自分の姿の後ろに、いつから立っていたのか子供の姿がある。
最初に着ていた手術着のような格好ではなく、研究所の職員が貸してくれた服を小さく縫ったものだ。それでもダボダボの服を引きずっている様子は、正体を知らなければ可愛らしいと思えるだろう。被災地の子供としては相応しくない程の明るさも、周りには状況が判っていない子供だからと納得されたようだし。
……エリックには、当然毛筋程も可愛らしいなどとは思えないが。
「あぁ、なんともない。感覚も何も無い以外はな」
エリックは振り向くこともせずに左腕をかざして、手を閉じたり開いたりしてみる。そんな事をしても、相変わらず何の感触もなかったが。
「お前の方は、歩き回っていて良いのか?」
一応ナインは、保護された民間人という扱いだ。本来なら軍部に預けられる筈だったが、危険ではないと判断されたのか、民間人が比較敵過しやすいであろう研究所に預けられたのだ。
「子供が歩き回ったところで、研究データが盗まれるとも思われまいよ。一応盗聴器のようなものは仕掛けられたが……ダミーの音声データを入れてある」
上着の襟元についているボタンを目線で指して、にやりと笑ってみせるナイン。さすがにやる事にソツがないというべきだろうか。
「まぁ、最初から心配はしてないが……それより、ナビアの人間に対しては敵対衝動が働くんじゃなかったのか?」
今までアルファ達に接する時のナインを見ている限り、そんな様子は少しも見受けられなかった。気味が悪い程に、無邪気であり友好的だったのだ。
「あぁその事か。今敵対行動をとれば私は確実に破壊される。敵対衝動はあるが、自己防衛の方が優先だよ。電力を補給するまでは大人しくしているさ」
なんだかやけに都合の良い事を言われている気がして、ついついナインを見るエリックの目に疑惑が篭る。
「プログラムとはいえ感情もあるんだ。私だってみすみす死にたくはないさ」
好奇心もあったとはいえ、だからお前に協力を頼んだんじゃないか。そう続けて、ナインは小馬鹿にしたように告げる。
そんなナインの様子に腹が立たないでもないエリックではあったが、確かにナインの言う通りだ。おかげでクリスとまた会えるかもしれない事を考えれば、ナインの行動原理などどうでもいい事だろう。
「それで本題なんだが、直してもらいたいものというのは何処に?」
どうやらそれを聞きに来たらしい。ナインは此処についてすぐ研究者達の保護管轄に入り、ずっと誰かが傍についていたので、ナインをクリスの元へ案内する機会がなかった。そしてそれが原因で落ち着かなく、エリックは疲れているにも関わらずこんなところでぼんやりと窓を眺めていたのだ。
そんな事より。エリックには、ナインの言葉に混じった一つの単語が気になった。
「……もの、だと……?」
「そうだ。修理の対象物は何処にあるか聞いているんだがね?」
まるきり無生物に対する扱いのナインに反感を覚えるエリック。だが、自分の腕を治して貰った時も「修理する」と言っていた事を思い出す。クリスが、というのではなく、ナインには人間全体がそこらの石ころと大差ない存在なのだろう。
「ふぅ…………こっちだ」
考えても仕方がないと、一息ついてエリックは気持を切り替える。そんな事よりもずっと重要な事が、この先に控えているのだから。
エリックは奥まった通路の行き当たりにある部屋の前で立ち止まり、一呼吸する。少し、気持が昂ぶっているのを自覚したからだ。
「この部屋か?」
そんなエリックに、後ろからナインが声をかけてくる。
「……あぁ」
いつかこの部屋の前で、同じ質問を自分がした。そんな事を思いながら、エリックは壁のパネルに手をかける。ドアが、スライドした。
倉庫のように雑然とした部屋。その奥に、エリックの目指すもの、エリックの望む全てはある。そう、人類の敵となってでも手に入れたいものが。
「………………ただいま……クリス」
離れていたのは精々一日だというのに、酷く懐かしく感じて。横たわるCS装置の小窓を開き、エリックは届く筈もない挨拶を口にした。